本は意志を持っている。

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今、ある本屋さんの、ある店長さんと、ある悪巧みを進めている。
(注:犯罪ではありません。ワクワクする企画です。)

「この本をもっと売りたいんだよね。」

連れて行かれた棚で紹介された本は、仕事で疲れた(特に「ブラック」と言われる会社の)多くのビジネスマンたちを癒してきたそう。

「了解です、勉強しておきます。」

と言ってレジ打ちしてもらい、カバンに詰めた。

 

その夜、久しぶりに会った後輩と夕食を食べながら話をしていると、
何やらその子が思い悩んでいることがまさにその本とぴったり重なっていた。

「あぁ、この本を今日買ったのは、自分が読むためじゃなくて、この子に渡すためだったんだな」

と、だいたい僕はそういう思考に走る。
科学的ではないかもしれないけれど、「シンクロニシティ」は本当にあると思っている。

カバンから取り出して、まだ1ページも開いていないその本を手渡した。

 

「人に本を選ぶ」というのは、本当に緊張する。
人へのプレゼントはよく本にする人間なのだけれど、苦労しなかった試しはない。

お節介になり過ぎていないか。
メッセージが露骨過ぎないか。
興味に合っている本にしようか。
あえて少し分野を外して新しい世界が開けるものにしようか。
良い本なのだけど、もう読んでいるだろうな。
あぁ、この本、中身はドンピシャなのに帯の宣伝文句が…etc

結果、何時間も棚という棚を右往左往する。

 

でも今回は、全く迷いがなかった。
「あ、今だな」と理屈よりも早く感じるときは、素直にそれに従うと大抵正しい。

 

翌日、その子から連絡が来た。

「昨日の本、驚くほどいまの私にぴったりでした」
「ただ、新幹線で読んじゃだめなやつでした笑」
「不思議ですね、ほんとうに。 ゆーやさんもまだ読んでないんですもんね?」

 

本には、二つの意志があると思っている。

一つは、出会うべき人が出会ってくれるまで、辛抱強くじっと待ち続けている忍耐強い意志。
もう一つは、 時々こうやって偶然を起こして自ら届きに行こうとする、行動的な意志。

本に救われたことがある人は、この感覚がなんとなく分かるのではと思う。

本には著者の意志が宿っている。
編集者の意志が宿っている。
営業の意志が宿っている。
印刷会社の意志が、流通業者の意志が…
そして書店員さんの意志が宿っている。

それはもちろんそうなのだけれど、なんというか、本そのものも、意志を持っている。
僕はそんな気がしている。

その意志をもっと感じ取れるようになりたい。

 

届けるべき人に、届けるべき時に、届けるべき本を。

 

そのお手伝いを、もっともっとできるようになりたい。

 

 

店長さんが、その日もう1冊薦めてくれた本がある。

 

聖の青春 (講談社文庫)

 

「将棋の話でね。俺、これ本当に好きなんだよ。」

その一言しか聞いていない。
でも店長さんは面白い人だし、「じゃあそれも読んでみます」。
正直それくらいの気持ちだった。

だけどさっきの話があったから、もしかしてこの本にも何かあるのではないかと勘繰って、今改めて紹介文を見てみた。

 

重い肝臓病を抱え、命懸けで将棋を指す弟子のために、師匠は彼のパンツをも洗った。弟子の名前は村山聖(さとし)。享年29。将棋界の最高峰A級に在籍したままの逝去だった。名人への夢半ばで倒れた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動ノンフィクション。

 

奇しくも来月、僕も聖と同じ年齢を迎える。
そして、7月は僕にとって「命」の月。

あぁ、やっぱり本は意志を持っているんだ、と思った。

 

 

明日は、何週間も前から「予定は入れない。好きなだけ本と原稿に浸る」と決めていた日。
ゆっくりと、本の言葉と意志に向き合おうと思う。

 

あっ、店長、あの本あげちゃいましたけど、僕もちゃんと読みますから。
もう一回レジ打ちしてください。

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