記憶の座標と螺旋階段

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歳を重ねるごとに「空気」に敏感になっていく自分がいる。

温度感、重さ、肌触り、気怠さ、匂い…

いろんな感覚から、「あの日の空気だ」と、かなりはっきり分かることが多い。
グラデーションのように徐々に緩やかに近づいて来るというよりも、
ある日になるとはっきりと「あっ、今日があの日の空気だ」という感じ。
線を引けるくらい、きちんとした境目があるように思う。

 

そんな日が来ると、どこかをぐるりと一周回って、同じ座標に戻って来た気持ちになる。

その座標には、様々な記憶や思い出が置いてある。
良い思い出の日もあれば、忘れたい記憶の日もある。
その上を、何度何度も、繰り返し通り続ける。

「記憶が蘇る」のではなく、「記憶に戻っていく」。

確固たる自分の今の位置に記憶を引き戻すのではなく、
その座標で待ち続けている記憶に、自分自身が引き込まれていく。

主体は今の自分にではなく、記憶の方にある…

そんな感覚になるときもある。

 

ただ一つ、信じているのは…おそらく「信じたい」のは、
人生は「螺旋階段」だということ。

平面上(X軸とY軸上)の同じ座標の上を何度も通るけれど、
その度ごとに、本当は前回よりも少し高い場所にいる。
周を増すごとに、高く高く。

記憶が置かれた平面座標の上に
時の流れと共に上昇していくZ軸がある。

決して「記憶に戻って来た」のではない。
少し高い場所へ登れているのならば、
たとえ同じ平面座標の上を歩んでいるのだとしても、
主体は記憶ではなく、ちゃんと自分の方にある。
少しずつでも登り続けている、自分という主体がある。

 

螺旋階段2
作:Nick-K (Nikos Koutoulas)

 

そう信じたいからこそ、
登っても登っても同じ場所に戻ってきてしまうトリックアートを見ていると怖くなる時がある。

 

トリックアート 階段

 

トリックに騙されないように。
人生はきっと螺旋階段。

消したくなるような記憶が消えないのと同じくらい、
どんなに些細でもきちんと踏み出してきた歩も消えない。
消せない。

消えないものを積み重ねて、形を整えながら段を作り、
繰り返し同じ座標を回りながらも少しずつ登っていく。

たまらなく「ボレロ」が好きなのは、
それを全身で感じさせてくれる音楽だからだと思う。

 

また6月が終わり、7月がやってきた。
これまでで一番見晴らしの良い7月になるように。

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