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2018年 9月 の投稿一覧

無条件に人にすすめられる冒険記:『星野道夫著作集1(アラスカ 光と風 他)』

本を愛してやまないからこそ、「おすすめの本は?」と聞かれると悩んでしまう。

なんでもそうだけど、goodかどうかよりも、大事なのはfitかどうか。その人の性格、状況、求めるものによって、fitは変わってくると思う。だから、そういう色々を聞いてみないことには、「おすすめ」はなかなか答えるのが難しい。

…と、そんな風に頭でっかちに考えてしまいがちなのだけど、ときどき、その人の性格とか状況とか関係なく、多少強引にでも無条件にすすめたいと思う本に出会う。

星野道夫著作集 1 アラスカ 光と風 他』は、間違いなくそんな一冊だった。

 

星野道夫著作集〈1〉アラスカ・光と風 他

星野道夫著作集1 アラスカ 光と風 他』星野道夫著、新潮社

 

アラスカの大自然に身を捧げた写真家・星野道夫さんの行動力は凄まじい。

10代のときに神田の洋書店で見つけたアラスカの写真集。そこに載っていた1枚の写真に写っていたのは、小さなエスキモーの村「シシュマレフ」。この写真に心奪われ、どうしても訪ねてみたいと思った星野青年は、村長に手紙を送る。半年後に返ってきた「受け入れOK」の手紙に導かれてアラスカへ渡り、結局星野さんはそこに居を構えてしまう。

 

写真家の本でありながら、この全集には一切写真がない。

収録された各作品の元々の書籍には写真が載っていたそうだけど、ここにはあえて収録されていない。だからこそ、文章家としても稀有な才能を発揮できる星野さんのすごさが伝わる。

短文、短文のシンプルなリズムの中で、星野さんは言葉を飾らない。ワクワクする予感に正直で、信じられないような行動力を持っている。危機感を、常に探究心が上回っている。文章は少年のような好奇心に満ちているから、ときどき旅の記録の中にいる星野さんの年齢がわからなくなる。

かと思うと、突然プロのカメラマンの目線に移って、大自然や人間の本質を鋭く見抜いたりする。

 

そんな星野さんによって紡がれる言葉から、想像を絶するアラスカの大自然が浮かびあがってくる。

村人総勢で2時間かけて陸上に引き上げ、体を切り裂けば極寒の地に湯気が立ち上る鯨漁。
爆音を轟かせ、津波のように極北の海をうねらせる巨大氷河の崩壊。
体感温度マイナス100度の山中でカメラを構えて一ヶ月待ち、闇夜の中で恐怖を感じるほどの閃光を放つオーロラとの孤独な対峙。

凄まじい臨場感だった。人の力が一切敵わないようなダイナミックな世界が、今この瞬間も地球のどこかにあると思うと、自分の両目で見えている光景なんて砂つぶのようで、知っている世界はなんて狭いのだろうと思う。

 

ところどころに挟まれるグリズリーとのエピソードは、その後の星野さんの運命を暗示しているかのようで、映画の中で現れる伏線を見ているようだった。

人間と熊が適切な距離さえ保っていれば、無闇にライフルの引き金を弾く必要はない。そんな信念から、星野さんはほとんど銃を携行しなかった。だけど、まさにその熊によって最期を迎えることになる。享年43歳。

星野さんを襲った熊は、人間によって餌付けされ、人間との距離感を失っている個体だったそう。

あまりにも皮肉だと思う。同時に、不謹慎承知で言えば、ドラマティックであるとすら感じてしまった。なんという人生を送ってきた方なんだろう。

 

自分の知らないスケールの世界に圧倒されたい気分の時には、ぜひ多くの人にこの本を読んで欲しいと思った。この本は、読後の教訓など必要なく、ただただアラスカの迫力に没頭できればいいと思う。全集は厳しいという場合は、『アラスカ 光と風』だけでも。秋の夜長にぜひ。

その代わり、冒険心に駆られて、興奮して眠れなくなるのには要注意です。

誰かに手渡したいと心から思える本だった。

見えないリレーの中で込められていく思い:『本を贈る』

何かが受け手に届くまでの間には、多くの人たちの、多くの手間とこだわりがこめられている。たいていの場合、受け手のあずかり知らぬところで。

それはきっと、本に限ったことではない。この本を読むと、本に対しても、本以外のものに対しても、それが手元に届くまでの物語に思いを馳せずにはいられなくなると思う。

 

本を贈る
本を贈る』(笠井瑠美子 / 川人寧幸 / 久禮亮太 / 島田潤一郎 / 橋本亮二 / 藤原隆充 / 三田修平 / 牟田都子 / 矢萩多聞 / 若松英輔著、三輪舎)

 

この本は、編集、装丁、校正、印刷、製本、取次、営業、書店…と、読者に本が届くまでのリレーの各区間を担うプロフェッショナルたちのエッセイ集。出版業界にいる人間として、どの方のお話にも背筋が伸びる思い。

誰もが、著者の思いが届くべき人に届くべき姿で届くように、大事なことが零れ落ちてしまわぬように、丁寧に丁寧に仕事をしている。著者の言葉だけではなく、言葉にならない言葉にまで寄り添おうとしている。

この本を読みながら、自分の手に乗っているまさにこの本に対して、敬意と愛着が増していくのをひしひしと感じられた。印刷技術の発達の要点は大量生産にあると思うのだけど、今自分が手にしているこの本が、たった一冊しかないものすごく稀有なものであるような気さえした。

本書の中で藤原隆充さんが仰る「1000冊の仕事ではなく、1冊×1000回の仕事」という言葉に触れてしまうと、「作品」としての本の姿が色濃くなり、大切に読みたい、置いておきたいという思いがぐっと強まる。

 

独立して活動されている方々が多く、実は起業家精神も学べる本だと感じる。どなたも間違いなくパッションがあるのだけど、暑苦しく息苦しくなるような文体のものはなく、言葉を受ける以上に、自分側から入っていけるようなものばかりだった。

本全体を通じて、肩ひじ張らず、とても心地よい読書感だった。本自体の重量や紙質も、それを手伝ってくれたと思う。ずっと手に持っていたくなるような感覚。

 

 

すてきな本を世に送り出してくださり、どの執筆者にも、製作過程のどの関係者にもお礼を伝えたいくらいの気持ちだけど、個人的には、やはり橋さんへ。

橋さんの、本への、書店さんへの、書店員さんへの思いには、橋さんの発信を見るたびにいつも胸を打たれていました。あの人への2年越しの思いも、書いてくださり感謝です。しっかり胸に刻みました。来月12日に、もう一度読もうと思います。

ご出版、おめでとうございました。

自分を取り繕う余裕すらなくなる挑戦の価値:『ランニング思考』

慎さんには遠く及ばないけど、僕も100kmマラソンを走ったことがある。「なんでわざわざ長い距離を走るの?ただ走るだけで楽しいの?」という質問を散々受けた。かつては自分も陸上をやっている人たちに対して同じことを思っていたので、問いたくなる気持ちはよくわかる。苦しいだけで、何が楽しいのかと。

ましてや、慎さんのように「本州縦断1648kmマラソン」ともなれば、もはや狂気の沙汰にしか思えないかもしれない。だけど実は、この極限体験の中に、体力だけでなく人間性を磨く上で大事なことがたくさん詰まっている(と、少なくともマラソン好きからしたら心底そう思える)。

 

ランニング思考──本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと
ランニング思考──本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと』(晶文社)

 

特にこの本の中で共感したのは、極限常態の中で生まれる二つの心情の変化について。

 

一つは、「自己顕示欲がなくなる」ということ。

信じられないほど苦しい。苦しいのだけど、苦しさのあまり、もはや周りの目がどうでもよくなる。かっこつけている余裕がない。素の自分である以外の余裕がない。慎さんも書いているように、とても「穏やか」な気持ちになる。

年齢を重ねるごとに、未熟さに対する恥じらいの気持ちや、年相応の貫禄への憧れなど、本当はあまり必要ではない、むしろ邪魔になる気持ちが芽生えてくる。どちらも、自分を強く見せようとする隠れ蓑。自分を取り繕う余裕すらなくすほどのぎりぎりの挑戦というのは、そんな自分をもう一度真っ裸にしてくれる。

 

もう一つは、「謙虚になる」ということ。

走っている最中、自分ではコントロールできないことと山ほど出くわす。予想外の怪我、荒れる天候、心折れるのぼり坂…(慎さんの走行記を読めば、こっちまでげっそりするくらいに痛感すると思う)。どんなに練習を積んで自分側を鍛えても、否応のないものと対峙しなければならない瞬間が必ずくる。

たいていはまず、愚痴がこぼれる。「雨ふざけんな」とか「なんでこの辛い時にのぼり坂があんねん」とか。でも最終的には、「やるべきことは一つしかない。変えることのできないこの環境に対して、いま自分にとってできることは何か」という心に落ち着く。

どうにもならない自然への敬意も芽生えるし、ちっぽけな自分を支えてくれるボランティアや応援者の人たちへの感謝の気持ちも強まる。自分を過小評価する自己卑下ではなく、すべてを敬う本当の謙虚さと出会える。そんな気がする。

 

総じて、「あるがままの自分で、そんな自分にできることを一つずつやるしかない」という気持ちになれる。だから、変に強がったり、愚痴ばかり言っていたり、そういう状態になりかけたときは、このスポーツは心からおすすめ。素直に、謙虚に、あるがままになるために。

本の最後にも書かれているけど、極限体験で学んだことを、日常に落とし込むことは本当に難しい。あっという間に走る前の自分に戻ってしまっているようにも思える。「また走りたい」と思うことがそもそも、「あのとき学んだ気持ちにまた戻りたい」という気持ちの表れで、やはりせっかくの学びを活かしきれていないのだろうなと感じる。そうやって、終わることなくいつまでも走り続けていくのかもしれない。

 

この本を読むと、十中八九、慎さんが超人に見えると思う。毎日熱や怪我を抱えながらフルマラソン以上の距離を走り続ける。しかも、走りながら仕事のSkypeミーティングをしている。ウルトラマラソン経験者から見ても次元が違い、凄すぎて読みながら笑ってしまった。

でもおそらく、超人的に見られることよりも、弱さを抱えながらも挑戦し、そんな自分を超えたり許したりしながら人として成長していく、そういう面に焦点を当てた方がよいのだと思うし、その克己し続けていく姿こそが、この本の一番の魅力だと思う。

 

9月。7年前のちょうどいまくらいの時期に、自転車の旅で慎さんのルートと同じ日本海側を爆走していた。逆方向ではあるけど、あそこのトンネルの怖さとか、あそこのコンビニのなさとか、あそこの峠道のやばさとか、とても懐かしい気持ちで読んでいた。冒険の高揚感が蘇ってきた。

走ることによる内面的な変化を知ろうと思ってこの本を手に取ったのに、具体的な走り方や工夫のところにもいっぱい傍線を引いてしまっていた。おそらく僕自身、いままた走りたがっているのだと思う。

 

▼以前挑戦した、宮古島100kmマラソンの記録
ウルトラマラソン挑戦記〈5〉:宮古島100kmワイドーマラソン

優しい子に育てるには、まずは自分が優しい人であれ:『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』

ほぼ日の対談を読んでとても気になっていた幡野広志さん。34歳にして、多発性骨髄腫を発病し、余命3年を告げられた写真家。2歳の息子を持つ。

 

ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。
ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)

 

死を前にした人の言葉とは思えないくらい、悲壮感はなく、冷静で、でもあたたかい。優しく、でも厳しくもある。一貫して感じたのは、本当に真っ正直な方だということ。外向け用の言葉ではなく、全部本心で書かれていると強く感じたし、そこが一番魅力的だった。

この本は、子育てをしている人にも多く読まれるのだと思う。だけど、「子どもをどうするか」という他動詞の本ではなく、「自分がどうあるべきか」という自動詞(というかbe動詞)の本だと感じた。優しい子に育てるには、まずは自分が優しい人であれ。まずは自分自身がその理想の姿であろうとすることをとても大事にされている。

ある章で、幡野さんのライフワークの一つでもある、生々しい狩猟のシーンが出てくる。描写が半端ではなく、動物を撃ったときの鼓動、高揚感、血の匂い、内臓の熱が、その場にいるかのような感覚で伝わってきて、実はこの本の中で一番「命」というテーマを感じた。この方の、このテーマの本を読んでみたいと思うくらい。

もっと知りたい、経験したい、という世界への好奇心が素敵だった。読んでいて、自分ももっと世界を広げたいという思いに駆られた。

将来幡野さんのお子さんがこの本を手に取ったときも、きっとそんな思いを持つと思います。書いてくださって、ありがとうございました。