2016年 7月 の投稿一覧

あの日から5年経って

この5年間、ずっと文字にすることができなかったことがある。
でも昨日、自分の中で一つの区切りができたので、少し書こうと思う。
最後まで書けるかあまり自信はないけど。

何のことか察しが付いている友人たちは、
読みたくなかったら読まないようにしてください。

 

 

 

この一週間は、僕にとって「命の一週間」だった。

718日は親友の誕生日で、
722日は僕の誕生日で、
5年前の724日に、彼はこの世を去った。

 

誰もが言う。

「あいつは人の23倍のスピードで生きていた」

そう思う。寝坊も多かったけど、鉄人みたいだった。
あんな理不尽な終わり方をするとは思っていなかった。

 

「轢き逃げ」といえば、「よく聞くこと」になってしまうのだろうか。
その年だけでも180件近くの轢き逃げ死亡事件が起きている。

統計データの件数だけを見ていたら、その一つひとつにある重さや悲しみは分からない。
こんなに悲しいことが日々起きているのかと思うと、
感受性を断ち切らないと生きていけないのではないかとすら思う。

 

 

 

葬儀以来、彼の実家には行けていなかった。
直接手を合わせに行きたいと毎年思いながら、
心も足もどうしてもついていってくれなかった。

代わりに事故以来、現場にばかり狂ったように通い続けて、
そして本当に狂ってしまった。

情けない。
残された者として頑張りたいのに。
合わせる顔がない。
自分がまともに戻るのが先だ。

そんなことばかり考えてきたけど、物事は大きくは変わらなかった。

 

あれから5年経っても、僕はまだ情けないままだと思う。

でももうそれでもいいから、
今年は何が何でも行こうと決めた。

なんか、自分のためみたいだね。
ごめん。

それでもとにかく、今年はやっと行くことができた。
日帰りの短い旅だったけど、5年越しの想い。

ここまで、長かった。本当に長かった。

 

 

 

ご遺族の苦悩を、その一端に過ぎないけれど、5年間ずっと見てきた。
見るたびに、いつも心が張り裂けそうだった。
お伺いして、いったい何て声をかければいいのか、ずっとわからなかった。

君の部屋を見せてもらい、
君が読んでいた本、
君が聴いていたCD、
君が飾っていたポスター、
たくさんのものを眺めているうちに、
堰き止めようと思っていたものが崩壊した。

その涙を優しく拭ってくれたのは、お母さまだった。
あまりにも優しすぎた。一番苦しいはずなのに。

5年前の事故の翌日、同じような優しさに触れたことを思い出した。

猛暑の中、現場で何時間も泣き崩れていた時に、
通りがかりのおばあさんが頭を撫で続けてくれて、
横で念仏を唱えてくれた。
人間の心の底からの優しさを感じた。
あの時のことを思い出すと、今でも涙が出てくる。

昨日涙を拭ってくれたお母さまのその手も、同じように優しかった。

「なんて声をかけたらいいのか」なんて、どの口が言っていたんだと思う。
世話かけてしまって。
こんなに情けない自分で本当に申し訳ないです。

 

 

 

それでも、涙よりも笑いの方がずっと多い1日だった。
(いなくなると、けっこう色々暴露されるものだよ(笑))

この日を「誰かと語り合う」という形で迎えたのは初めてだった。

「忘れないこと」はずっと大事にしてきた。
だけど、「語り合うこと」は避けてしまっていた。

でも「語り合うこと」も、「悼む」という行動の一つなのかもしれない、と気づいた。

悲しむことだけじゃない。
笑える思い出でもいい。

君が生きた証を、語り合える人たちがしっかりと胸に刻む。
ずっと忘れない。

 

 

 

何の実績も取り柄もなかった僕が学内でTABLE FOR TWOを始めた時に、
人生で初めてのロングインタビューをしてくれたのは君で、
掲載されたのは君が作っているフリーペーパーだった。
今でも大事に持っている。

そういえばインタビューのとき、せっかく最後まで語り終わったのに、
録音のスイッチが入っていなかったことに気づいて最初から語り直しになったことも覚えてる(笑)
あの日の打ち上げで、君がお酒弱いことを知った。

 

「ゆーやんとは、1か月くらいぶっ続けで語り明かさなきゃダメだな」と笑いながら、
夜中に大学でこれからのことを語り合っていたあの話、

「いつか、26言語の料理店全てにTABLE FOR TWOが導入される日が来るよ」

その2年後に、後輩たちが叶えてくれた。
あともう数ヶ月生きてくれていたら直接見せられたのに、
と思うと、それが今でも悔しい。

そういえば(「そういえば」が多いな)、男友達で「ゆーやん」と呼んでくる数少ない一人だった。
女の子に呼んでもらうよりは全然嬉しくないけど、でも違和感なかった。

 

君が書き続けていたブログは、本という形になっている。
あの詰め込み過ぎの毎日の中でよくあれだけ書き続けられたなと、
改めてすごいと思う。
400ページ越え3冊になっていて、まだ最後まで辿り着いていない。
昨日受け取って、一生大事にしようと思った。

正直に言って、リアルタイムで読んでいた時は、
音楽の話がマニアック過ぎて意味わからないところだらけだったんだけどね(笑)
君の音楽講義を聴きにいった時、一応頷きながら聞いてはいたけど、
実はほぼ意味わかってなかったです…ごめん

でも今、ゆっくりと一つひとつの記事を読み返している。
マニアックな民族音楽の話はおそらく相変わらずわからないと思うけど、
随所に出てくる哲学・神学的な話や、くだらないオヤジギャグのことなら、
あの時よりはもう少しわかるんじゃないかなと思う。
分かってしまうと、きっともっと話したいと思ってしまうんだろうけど。

 

ほっっっとんどの人が「?」と思うようなマニアックなことでも、
自分の関心と情熱に忠実に、呆れるくらいストイックにとことん追い求め続けた姿が、
残された人たちの心の中にしっかりと焼き付いている。
「俺には敵わない」という思いと同時に、
いつまでも刺激を与え続けて欲しいという尊敬をずっと抱いていた。
今も抱き続けている。
後にも先にも、君以上のハードワーカーを知ることはないと思う。

 

イランへの音楽取材の旅を間近に控えていたね。
食費削って、鬼のようにバイトして、ペルシャ語にまで手を伸ばして勉強して準備して、
あとちょっとというところで。

 

そんな頑張っていたやつの命を、なんで奪うんだよ。

 

加害者の話はしたくないし、書き残したくもない。
彼に対する想いが薄れたり邪魔されたりするかもしれないから、
あえて思考の外に放りだそうとすらしてきた。
顔合わせていないのがせめてもの救いかもしれない。

でも今年は、いつもより考えてしまう。

それでも、それについてはもう書かない。

 

 

 

思い返していくとさ、君に「お願いしたこと」ばかり出てくるんだよ。
「叶えてもらったこと」ばかり。
俺が役に立てた時ってあったのかなって。

一番最後にした電話も、TABLE FOR TWOの宣伝のお願いだった。

でも、謝るのはちょっと違うよね。

だからせめて、こんなに素晴らしいやつがいたってことは、
これからも絶対に忘れないし、伝えられる人には伝えたいと思ってる。

 

 

車を運転される皆様へ。

便利なものだし、移動が楽で早くなることで、
旅ができたりして豊かになる人生もあると思います。
救急車はたくさんの命を救ってきたと思います。

だけど同時に、車は人の命を奪ってしまえるものでもあります。
どうか、お願いですから注意して運転してください。

飲酒運転はもちろん、最近本当に怖いのは「スマホしながら運転」。
使っていないから実態がわからないけど、
例えばポケモンGOをやりながらの運転で誰かを巻き込む事故とかもし起こしたら、
それがたとえ親友でも許せる気がしません。

車を運転するということの自覚を、強く持ってください。

 

 

 

なんでこの記事を書いたのかと言われたら、
自分が今より前に進みたかったからなんだと思う。
自己中な理由で書いてしまったと思う。

でも今年向こうへ行けて、やはり何かが動いたと思えた。

書き残そうと思って、書き始めては消しての5年間。
書くのなら今なんだろうと思った。

彼は僕の昔のブログをずっと読んでくれていたので、
これも読んでくれたらいいな、とも少し思ってる。

昨日から色々と思い返しながら、もう一度君に教えてもらったことは、

「自分の感性を大事にしろ」

ということ。
周りからクレイジーに思われたっていいから、
自分のペースとスタンスでとことん好きなことを追い求める。

それで今頭の中に浮かんでいるのは「100kmマラソンを走ってみよう」という、
まあなんというか僕が時々やらかすそういう系のことしかまだないんだけど、
とにかくやってみようと思う。

やはりここまで来て、書いてきたことを全部消してしまおうかとも思うけど、
最初の自分の感性に従って、ここに残すことにする。

 

 

また来年ね。
その時までには、もう少ししっかりしています。

みんな君のことを愛し続けています。

雪のひとひらの重さ

講演をさせていただくときに、ある時から引用するようになった物語がある。

 

 

「雪のひとひらの重さはどれくらいかな」

シジュウカラが野バトに聞いた。

 

「重さなんてないよ」

ハトが答えた。

 

「じゃあ、おもしろい話をしてあげる」

シジュウカラが言った。

 

「モミの木の、幹に近い枝にとまっていると、雪が降りはじめた。

激しくはなく、吹雪のなかにいるような感じでもない。

そんなのじゃなくて、傷つくことも荒々しさもない、

夢のなかにいるような感じの降り方だった。

ほかにすることもなくて、ぼくは小枝や葉に舞い降りる雪をひとひらずつ数えた。

やがて、降り積もった雪の数は正確に三七四万一九五二になった。

そして三七四万一九五三番目の雪が枝の上に落ちたとき、

きみは重さなんてないと言うけど

──枝が折れた」

 

そう言うと、シジュウカラはどこへともなく飛んでいった。

ノアの時代以来その問題に関してとても詳しいハトは、

今の話についてしばらく考えていたが、やがて独りつぶやいた。

 

「もしかしたら、あともう一人だけ誰かが声をあげれば、

世界に平和が訪れるかもしれない」

 

 

シンクロニシティ』という本の最後の場面で、ある女性が語る物語。
どこかの国の民話に原作があるのかどうかは分からない。

「たった“1”の力になんて意味はない」

そう思ってしまうような時には、よく思い出すようにしている。

自分に備わる「たった“1”の力」を疎かにするとき、
自分の前に積もってきた誰かのひとひらずつや、
自分の後に積もっていく誰かのひとひらずつの、
その重さへの敬意までをも失っているのだと。

自分自身の“1”が、最後に枝を折る「決定打」にならなくてもいい。
最後の“1”が劇的な変化を起こしたとしても、
それはその時までのたくさんの“1”の集積があったおかげ。
そう考えれば、決定的じゃない“1”なんてないとも言える。

変化はみんなの積み重ねで起こすもの。

もちろん、誰か一人のとても大きな力であっても変化は起きると思う。
だけど、

1円の寄付であったり、
1票の投票であったり、
1つの思いやりであったり、

向き合っているものの大きさに比べたら重さなんてないかのような小さなものの集積でも、
変えていけるものはきっとある。

周囲の人たちの“1”の力への敬意。
自分自身が持っている“1”の力への敬意。

どちらも大切にしたいと思う。

降ってきた雪を手の平でそっと受けるときのように。
溶けてなくならないようにと願いながら。

 

雪5Fyn Kynd

(シジュウカラでもハトでもなく、アオカケスですが)

記憶の座標と螺旋階段

歳を重ねるごとに「空気」に敏感になっていく自分がいる。

温度感、重さ、肌触り、気怠さ、匂い…

いろんな感覚から、「あの日の空気だ」と、かなりはっきり分かることが多い。
グラデーションのように徐々に緩やかに近づいて来るというよりも、
ある日になるとはっきりと「あっ、今日があの日の空気だ」という感じ。
線を引けるくらい、きちんとした境目があるように思う。

 

そんな日が来ると、どこかをぐるりと一周回って、同じ座標に戻って来た気持ちになる。

その座標には、様々な記憶や思い出が置いてある。
良い思い出の日もあれば、忘れたい記憶の日もある。
その上を、何度何度も、繰り返し通り続ける。

「記憶が蘇る」のではなく、「記憶に戻っていく」。

確固たる自分の今の位置に記憶を引き戻すのではなく、
その座標で待ち続けている記憶に、自分自身が引き込まれていく。

主体は今の自分にではなく、記憶の方にある…

そんな感覚になるときもある。

 

ただ一つ、信じているのは…おそらく「信じたい」のは、
人生は「螺旋階段」だということ。

平面上(X軸とY軸上)の同じ座標の上を何度も通るけれど、
その度ごとに、本当は前回よりも少し高い場所にいる。
周を増すごとに、高く高く。

記憶が置かれた平面座標の上に
時の流れと共に上昇していくZ軸がある。

決して「記憶に戻って来た」のではない。
少し高い場所へ登れているのならば、
たとえ同じ平面座標の上を歩んでいるのだとしても、
主体は記憶ではなく、ちゃんと自分の方にある。
少しずつでも登り続けている、自分という主体がある。

 

螺旋階段2
作:Nick-K (Nikos Koutoulas)

 

そう信じたいからこそ、
登っても登っても同じ場所に戻ってきてしまうトリックアートを見ていると怖くなる時がある。

 

トリックアート 階段

 

トリックに騙されないように。
人生はきっと螺旋階段。

消したくなるような記憶が消えないのと同じくらい、
どんなに些細でもきちんと踏み出してきた歩も消えない。
消せない。

消えないものを積み重ねて、形を整えながら段を作り、
繰り返し同じ座標を回りながらも少しずつ登っていく。

たまらなく「ボレロ」が好きなのは、
それを全身で感じさせてくれる音楽だからだと思う。

 

また6月が終わり、7月がやってきた。
これまでで一番見晴らしの良い7月になるように。