あれから1年経って

去年、「第27回宮古島100kmワイドーマラソン」を走ってから、早くも1年。

この日に向けた記録をせっかくシリーズで書いてきたのに、
肝心の本番の記録を書き損ねていた。

ウルトラマラソン挑戦記〈1〉:申し込み完了。
ウルトラマラソン挑戦記〈2〉:星に手を伸ばせば
ウルトラマラソン挑戦記〈3〉:新しい相棒
ウルトラマラソン挑戦記〈4〉:南伊豆町みちくさウルトラマラソン・75kmに挑む。

明日2018年1月21日(日)は、第28回大会の開催日。
懐かしい記憶が自然と蘇ってきたので、
1年越しに、書ける範囲で書いておこうと思う。

 

 

当日まで

なぜ走ろうと思ったか

何度も聞かれてきた問い。

思い立ったのは一昨年の7月頃。
個人的に色々と思うところがある月で、

「半年後くらいの目標が何か欲しい」

と感じていたところに、思い立ったのが100kmマラソンだった。(唐突な…)
実は、かつて大学の時にノリでこの大会に申し込んだものの、
論文に追われて結局参加すらできずに終わったことがあった。
その時のリベンジの気持ちもあったのかもしれない。

 

練習について

スケジュール

2016年7月〜2017年1月までの半年間。
だいたいのスケジュールはこんな感じ。

・7月:身体をランニングに慣らす(10km前後)
・8月:ハーフマラソン(20km)
・9月:フルマラソン(42.195km)
・10月:体力維持(20km前後) ※本当は50km超えを数回やりたかったが叶わず
・11月:初ウルトラマラソン(75km)
・12月:体力維持&回復(20〜40km)
・1月:調整(10km前後)&本番(100km)

「毎日練習したの?」と聞かれることが多いけど、
実のところは週に1〜2回程度。

◆7月 4回、45km
・6km
・12km
・12km
・15km

◆8月 5回、88.5km
・21km
・10km
・20km
・6km
・31.5km

◆9月 6回、100.5km
・5km
・12km
・5km
・30km
・5km
・43.5km

◆10月 5回、73km
・12km
・24m
・6km
・10km
・21km

◆11月 1回、78.5km
・78.5km

◆12月 4回、78km
・6km
・12km
・20km
・40km

◆1月 3回、30km
・12km
・6km
・12km

◆合計 28回、493.5km

100kmマラソンに向けた身体作りの最低ラインは「150km/月間」と言われてきた。
実質のその半分しか走れておらず、準備不足だった感は否めない。

 

工夫したこと

足りない練習量を補うために工夫したことは、

・毎日走らない代わりに、20〜30kmオーバーの長距離を月に1〜2回は入れる
→思いっきり負荷をかける日と、十分に休める日とのメリハリを意識
・一回いっかいのランで、身体の隅々の感覚に気を配ってフォームやペースを常に修正
・水分や食料の補給のタイミングと量を繰り返し実験

など。
一回いっかいの練習にものすごく集中して、
意識的にトライアル&エラーを行ってきたことが効いたと思う。

回復しなくなるほどの疲労の兆候は何か。
ペースの変えどきはいつか。
腕の振り方や足の角度はどれが一番負担にならないか。

「走っている時は何を考えているの?」もよく聞かれることだけど、
練習の時はひたすら自分の身体の細部に意識を張り巡らせて、
チェックと修正を繰り返していた。

 

筋トレ

筋トレは、

・走るのに適した身体は、走ることで作られていくはず。
・筋肉をつけすぎて身体を重くしないほうがいい。

という予想の元、あまり意識してやらなかった。
自重でのスタビライゼーションで体幹のバランスを整えた程度。
それ以上に、怪我防止のためのストレッチをかなり入念にやっていた。

 

 

前日

戦略を練る

前日早朝の飛行機に乗り、レースの舞台となる宮古島へ。
搭乗券の名前が間違っていた時点で、嫌な予感…

IMG-6846

機中では、ひたすらペース配分の計算を繰り返す。

というのも、この2ヶ月前に走った南伊豆での75kmマラソンでは、
ゴールまで「13時間4分21秒」かかってしまっていた。
今回は、「14時間以内」で+25kmの100km。
しかも「11時間15分以内」に80km地点を通過しなければならないという足切り関門も。
前回から2時間以上縮める必要があり、普通に走っていたら絶対に間に合わない。

練習の中で掴んだ、自分にとって一番負担なく気持ちよく走れるペースが「6分43秒/km」。
一方で、14時間以内に100kmを走りきるためには、平均「8分24秒/km」のスピードが必要。
これはもちろん休憩や食事も含めての数字なので、
実際に走るペースはもっと早くする必要あり。

自身の目安のペースとの差分が時間の貯金になるとすると、

1kmにつき1分41秒の貯金。
5kmにつき8分25秒の貯金。
10kmにつき16分50秒の貯金。

水分補給、食料補給、トイレ、休憩…etcは、
この貯金を切り崩しながらやらなければならない。
加えて考えなければいけないのは、

・高低差がきつい区間でのペースの低下
・風に煽られる区間でのペースの低下(島でのレースの特徴)
・天候不良によるペースの低下
・疲労や怪我によるペースの低下

など。(ちなみにすべて実際に起きた)
そうなると上記の貯金の目安も楽観的と言わざるを得ない。

こちらのブログで、区間ごとの高低差を試算したグラフを作ってくださっていて、
これがとても役に立った。

up-miyako1

前回の南伊豆マラソンと比べて、勝算があるとすれば二つ。

・前回と比べて、高低差は1/5程度。
・前回と比べて、エイドステーションで美味しいものが出ない

二つ目は冗談抜きに大事。

「猪汁&猪焼肉」
「イチジクのワイン煮」
「かぼちゃのポタージュ」
「ムロアジの干物」
「地元の漬物盛り合わせ」
「サザエのおにぎり」
…etc

豪華お食事が5kmごとに出てきた前回は、
食べている時間だけでも合計すると2時間近く使っていた。
もはやグルメレース。

今回は、携行するエナジーゼリーを目安10kmおきに摂ることを補給のメインにして、
エイドステーションにとどまる時間を極力減らす、という戦略。

などなど踏まえた上で、コースマップとにらめっこしながら試算、試算、試算…

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以上諸々考慮した上で、5kmごとのペースを試算したメモがこんな感じ。
字が汚いのは、飛行機の揺れの中だったからだと信じたい。

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ペースの変動も見込んで、制限時間より20分早い「13時間40分」でのゴールを想定。
今振り返ると、この試算結果はなかなか面白い。

 

初上陸

三線を持っているくせに一度も訪れたことがなかった沖縄。
空港でシーサーのお出迎え。

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空港の建物は、なんとなくカンボジアのシェムリアップ空港を思わせる。

IMG-6855

二日間お世話になる宿は、その名もズバリ「ゲストハウス宮古島」。

IMG-6858

ドミトリーの2段ベッドを2名で予約。
一人あたり一泊1,800円。
破格。
飼われているわんちゃんも人懐っこくてかわいい。

一方、リビングルームには危険な誘惑が…

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ビールサーバー…
走り終えるまでは我慢。

 

荷物を置き、一緒に走る筑井さんと島の散策へ。
まずは腹ごしらえ。

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レース前は「カーボローディング」と言って、意識して炭水化物を一気に体内に溜め込む。
なので、東京での朝食も麺。

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ちなみにこの日の晩飯も…

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ただ食べたいだけじゃないか…
さすがに胃もたれし、やや後悔。

我が家の正月は昼から一升瓶が空くため、正月太りもちょっと懸念点。
普段の体重よりも+1〜2kgの状態。

長い時間エネルギーを消費し続けるレースなので、
蓄えとしてはちょうど良いか、身体の重さが仇となるか。

 

受付

前日受付会場には、不吉な文字が。

IMG-9260

収容…
制限時間が設けられた関門は4つ。

・46.5km地点 8時間以内
・80km地点 11時間15分以内
・90km地点 13時間以内
・100km地点(ゴール) 14時間以内

遅れれば収容…
中でも、80kmの関門がかなりしんどい。

この車に乗らなくて済むことを祈りつつ、受付へ。

IMG-9261

明日の早朝5:00、ここでスタートを切る。
そして夜の19:00、ここでゴールを切る。

イメージを膨らませる。

少しコースを視察してから、宿に戻る。

 

決戦前夜

気合いを入れるために、かなりまずいドロドロの栄養ドリンクを飲み干し、
筑井さんとプチ決起会。

今回は、カンボジアをはじめとした途上国で移動映画館を行い、
子どもたちに映画で夢の種まきをしているNPO法人World Theater Projectを応援。
1km走るごとに100円を寄付し、100人の子どもたちに映画を届けることを目標に。

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本番

スタート前

AM3:00前起床。
荷物を準備してタクシーに乗り込み、スタート地点の会場へ。

朝はやや肌寒かったものの、この日の気温は15度前後の予想。
地元の人にとってはかなり寒かったようだけど、
東京から移動してきた身としてはちょうどよく、走るには最高の気温。

天候は雨の予報も出ていて、やや不安。
景色が楽しめないのも残念。

ウォーミングアップを済ませ、スタート地点に。
筑井さんと一緒にパシャり。

IMG-6886

 

最初の我慢:スタート〜来間大橋(0〜5km)

1.スタート〜5km

真っ暗闇の中、ランナーたちのヘッドライトの灯りが揺れる。
遠くから見たら人魂の行列みたいに見えるかもしれない。

序盤は、身体がほぐれてくるまで意識してペースを抑える。
7分/kmを超えても気にしない。

最初の左折で来間大橋へ向かうが、渡りもせずに折り返すという謎のコース取り。
距離の調整上仕方ないのか。
真っ暗なので橋の景色も全くわからず。

大通り沿いに右折し、5km地点くらいの場所が、
ちょうど泊まっている宿のあたりだった。
無事に戻ってきてベッドでゆっくり眠るイメージがわいてくる。

 

難所に向けて:〜伊良部大橋前(〜14km)

2.〜伊良部大橋

390号線沿いにひたすら北上。
空はまだ真っ暗で、左手に黒い海。
緩やかな起伏が始まる。

体があたたまり、ほぐれ始める。
7分/kmオーバーで我慢していたペースは、
想定していた6分40秒/kmに落ち着き始める。

10kmを越えたあたりで市街に入っていく。
大きく左折して、最初の難関、伊良部大橋の方向へ。

 

序盤の難関:伊良部大橋往復(〜25km)

3.伊良部大橋

全長3,540メートル。
通行料金を徴収しない橋としては、日本最長だそう。

現地通の方からも、ここはかなりの難所だろうと聞かされていた。
長さに加えて、起伏が激しく、海からの風をまともに受ける。

想像通り、橋の上に出た途端、強い横風に煽られた。
遠目に、急斜面が見える。
(この写真は、レースの時とは別で撮ったもの)

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ペースを抑えて、足の負担を最小限にするために慎重に上る。
地面を蹴り上げずに、骨盤で脚を引っ張り上げるイメージ。
周囲の早い人たちのペースに惑わされない。

一つ目の大きな山を越えると、その先にもう一つ山。

橋を渡りきり、伊良部島に辿り着くとすぐに折り返し。
この頃になると、空が白み始めた。
残念ながら天気はあまり良くなく、景色は楽しめなかったけど、
日差しが強くないのはマラソンにとっては好条件。

せっかく越えてきた坂を、今度は反対側からもう一度越えていく。

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こちらも後日撮った写真だけど、普段は本当に美しい橋。

IMG-6961

IMG-6973

ちなみに、このマラソンから8ヶ月後の去年9月、
橋の上でプロポーズを成功させた男性が、喜びのあまりか柵を越え、
誤って転落死するという悲しい事件があった。

オッケーしたばかりで、橋の上に残された女性の気持ちを考えるとなんとも…

 

一つの勝負:平良北上(〜32km)

4.北上

難関・伊良部大橋を終えて25km。
全体の1/4を走り終える。
もう少し疲れているかと予想していたけど、
身体のコンディションは最高潮。

マラソンでは、こういう時ほどいかに「ペースを抑えるか」が大切。
が、実はこの日は、自分の中で別のプランがあった。

100kmの長距離となれば、たとえゆっくり走っていても、
終盤には身体がまともに動かないほど疲労しているはず。
試算しているペースでもギリギリであることがわかっていたので、
伊良部大橋の難関を越えた時点でのコンディション次第で、
ペースをやや上げようと考えていた。

目安は、6分10〜20秒/km。
想定ペースよりは30秒近く早いけど、
息切れはせずに身体への負担も少なく走れるスピード。
慎重に疲労度を見ながらの調整ではあるけれど、
ここで少しでも稼いで終盤はその貯金で逃げ切る。

吉と出るか凶と出るかは怖いところだったけど、
直感的には勝負をしないと走りきれないと感じていた。

身体は飛べるように軽く、この区間は危なげなく走り終えた。

トップとの差:〜池間島〜レストステーション(〜46.5km)

5.池間島、レストポイント

最北端の池間島まで北上して、折り返してくる区間。
信じられないことに、この区間の序盤で、トップランナーとすれ違った。
折り返しの池間島が9km先だから、この時点で往復で18kmの差がついている。

笑うしかない。

ちなみにこの人は、7時間26分46秒でゴールした。

笑うしかない。

市街地を抜け、半島の先に近づくと、左手に池間大橋と池間島が浮かんでくる。
ここはかなり絶景ポイント。
もっとも身体が軽いゴールデンタイムは過ぎ、
徐々に疲労が積みかさなり始める頃だったけど、
景色のおかげでずっと顔は上を向いていた。
記念写真を撮るランナーも多かった。

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池間島で折り返し、少し来た道を戻ると、
46.5km地点で大きなレストステーションに。
タイムは5時間ちょっとで、かなり良いペース。

ここにはあらかじめ荷物を送ってあり、
ゼリーを詰め直したり靴下を履き替えたりすることができた。

南伊豆のウルトラマラソンでの大きな教訓は、後半足が浮腫むということ。
想像している以上に足が腫れ、終盤は靴がきつくなり、小指の感覚がなくなってしまった。
爪も痛く、豆も潰れ、かなり走りづらくなった。

なので今回は、少し時間をかけてマッサージし、
靴紐も緩めて余裕を持たせた。

 

嵐の前の…:東側、比嘉ロードパーク(〜65km)

6.比嘉ロードパーク

後半戦は東海岸を南下。
西側とは違い、徐々に高度が上がり、海沿いは切り立った崖になっていく。

高低差表を見ても、65km地点の「比嘉ロードパーク」は今回のコースの最高地点。

up-miyako1

上りが多くなり、疲労の蓄積も増えてくる。
ペースは次第に7分/kmを切れなくなってくる。

とはいえ前半の貯金があり、精神的にはかなりの余裕があった。
60km地点も無事通過。

IMG-6902

「思っていたよりも余裕でゴールできてしまうんじゃないか?」

などと楽観的になっていた。
今振り返るとぶん殴ってやりたくなる。

実はここまで、あるタブーを冒していた。

「素人ランナーのうちは、上り坂は歩いた方がいい」

というアドバイスを、トライアスロン経験者から聞かされていた。
走っていてもどうせペースが落ちるのだから、
少しでも負担を減らすために歩いてしまった方がいい。
実際に南伊豆の時は、その忠告通り上り坂は早歩きにしていた。

なのに今回は、ペースは落としながらも上りはすべて走っていた。
見えないところで、じわじわと身体は蝕まれていった。

 

アクシデント:東平安名崎前(〜75km)

7.75km地点

転機は突然だった。

65km地点あたりのレストステーションで、
リュックからポシェットにゼリーの入れ替えをするために数分立ち止まった。
下ろしていたリュックを手に取ろうとかがんだ瞬間、
右膝の外側に激痛が走り、まったく曲げられなくなってしまった。

元々膝が悪く、お皿(膝蓋骨)は生まれつき分裂膝蓋骨という症状で割れている。
その下の脛骨は、サッカー部時代にオスグッドが悪化して、剥離骨折の状態。

今回の怪我は、まさにこの二箇所を結んでいる膝蓋靱帯の損傷。
後日検査した結果では、微細断裂を起こしていたそう。

大丈夫だと思って上りを強引に走ってしまった無理が、ここで祟ったか。

しばらくは右足を引きずりながら歩いて様子見。
動き始めて集中を戻し、アドレナリンに頼るしかない。

後半の東側のコースに入ってからは、30分に一回くらい強い雨が降り、
降ってはやみ、やんではまた降っての繰り返しだった。
そのたびにポンチョを着たり脱いだりで、そのストレスも溜まってくる。

ごまかしごまかし少しずつスピードを上げていき、
なんとか走る格好には戻れた。
が、もはやペースは上げることができず、スピードは8〜9分/kmまで落ち込んだ。

左手に雑木林、その先にかすかな海の気配。

こうしてペースを落としたままで間に合うのか。
再び痛みがやってきて、もう動けなくなってしまうのではないか。

もう周囲のランナーたちも喋る余裕がない。
変わり映えのしない、静かで気怠い長い道が、不安を助長する。

 

成長:東平安名崎(〜80km)

8.東平安名崎

75km地点。
過去最高の距離と並ぶ。

IMG-6903

前回は「13時間4分21秒」。
今回は10時間を切っていた。

3時間以上の短縮。
大丈夫、自分は、確かに前進できている。

足を痛めてから、久しぶりに喜びがわいてくる。

とはいえ、ここから先、一度でも足を止めたらもう動けなくなるのはわかっていた。
ストレッチはもうできない。
だけど、足がつってしまってもダメ。
伸ばすために立ち止まったら、また膝が動かなくなる。

レストステーションでの補給の際も、右往左往歩き回りながら。
残りはノンストップでゴールまで進むしかない。

そんな状況の中で、東平安名崎へ。
岬なので、風が激しい。
身体に力が入らないので、左右に揺すられてまっすぐ走れない。

ここを耐えて折り返せれば、このレースで一番の懸念だった80kmの関門を突破できる。
心の余裕はかなりできるはず。

それだけを希望に、ふらつく体を一歩一歩なんとか前に進める。

スタートから10時間44分。

IMG-6904

一番不安だった関門を突破。
足切り時間の30分前。

これからさらにペースが落ちていくだろうことを考えると、
決して安心できるタイムではない。

だけど、さすがにガッツポーズが出た。

あとはもう気力の勝負。

 

最後の関門:インギャーマリンガーデン(〜90km)

9.90km

ここからは島の南側をひたすら西へ。
この直線の延長上にゴールがある。
レースのクライマックス。

体力はもう底をついていて、気力のみ。

そんな中に、まだ試練が続く。
実はこの最後の直線で、またアップダウンが始まる。

up-miyako1 (1)

上り坂では足はもうほぼ上がらない。
腕を思いっきり振って身体を引っ張り上げるしかない。
その腕すら、顔も、上がらなくなってくる。

恥ずかしい話だけど、嗚咽とともに半べそをかいていた。
「なんなんだよもう」とか「もう許してくれ」とか、危ない独り言も増える。

いったい誰に許可を求めているのか。

自分で勝手に始めただけ。
続けるもやめるも、誰に許可を取る必要もない。
すべて自分次第。

だけど、そんな正論に大した意味はない。

泣き言をこぼしては正論に戻り、
正論に辿り着いては楽になるわけでもなくまた泣き言をこぼす。

それを繰り返しながら、「また1km削れた…」を積み重ねていくだけ。

前方にまた小高い丘が見える。
それが丘であることを認識しないようにする。
「丘=上らなくてはいけない」という認識に辿り着かないように。
ただの一つの景色。ただの道。ただ進むだけ。
認知能力を意図的に麻痺させていく。

日はだんだんと暮れていく。

極限状態において、人が進む方法は、自分を騙し続けること。
あの電柱まで行ったら、もうやめよう。
その電柱に辿り着いては、
あの看板まで行ったら、今度こそ本当にもうやめよう。
あ、また1km削れた。
じゃあ今度は、あの民家まで…

後ろ向きな考えでも、情けなくても、
足を動かしていれば、人はちゃんと進んでいる。

スタートから12時間14分25秒。

IMG-6906

90km。
最後の関門。

残るは、ゴールだけ。

ラストスパート:〜下地公園(〜100km)

残り距離10km。残り時間1時間45分。
普通に考えれば十分なゆとり。

だけど残念ながら、普通の状態ではない。

走っているのか歩いているのか分からないようなスピードしか出ない。
顔は前を向くことすら辛く、全身をダランと垂らしながら、
ベタベタと身体を引きずるように進むしかできない。

そんな状況なのに、なぜか計算だけはグルグルと高速で回った。

10分30秒/kmを切れば間に合わない。
実際のところ、すでにペースは9分/km台まで落ちてしまっている。
水や食料の補給の時間を考えれば、ゴールできるのかどうかが本当に分からない。

どこで手を抜いた1秒で後悔するか分からない。

そう思うと無性に焦る。
焦るけど、ペースを上げることは不可能。

1km進むごとに計算して焦りが増していく。

景色はほとんど覚えていないけど、
広い歩道がある道路の上を走っている記憶はある。
向こうの方で、スタッフがこちらにカメラを向けて待っているのが見える。
カメラの前だけなんとか顔を上げて応え、
通り過ぎてからまた下を向き、身体をダランとさせる。
走るというより、前につんのめって身体を放り出し、
倒れないようになんとか逆の足で着地する。
その繰り返しだった。

もう泣き言を言う元気もない。
まぶたまで重くなってきて、寝ながら走ろうかとまで思った。

気づくと、あたりはもう暗くなっている。
気づくと、残りの距離が3kmを切っている。

ゴールが現実のものとして考えられるようになってきた。

ここまで来て踏ん張れなかったら、一生後悔する。
ここで走れなかったら、一生後悔する。

前回の75kmマラソンの時もそうだったけど、
急に力がわいてきて、信じられないくらいペースが上がっていく。
足の怪我も全然痛くない。身体もどんどん軽くなっていく。
感覚的に5分/km台までスピードが上がる。
身体の余計な力が抜け、練習でも感じたことがないくらい、
一番リラックスしたフォームで身体が流れていく。

限界だと思った時、それでも身体はエネルギーをちゃんとセーブしている。
ここだけ頑張れれば終わるんだと思えれば、
ここまでの力を出すことができる。

でもそれは、途中手を抜いてサボっていたわけではなく、
極限だと思っていたところを耐え抜いて、
ようやく届く場所でしか手にできない力だと思う。

前方を走っている人が、急に右折する。
そこは、ゴールである下地公園への入り口だった。

息が切れるほどのスピードで曲がり、正面に見えるゴールへのアーチを目がとらえる。
ゴールした人の名前が放送される声が響く。

ようやく終わる。

あれだけ上らなかった足は、地面を力強く蹴り上げる。
苦労の時間が、走馬灯のように流れるんじゃないかと思っていたけど、
そんなことは起きない。

1秒でも早くあのアーチをくぐりたい。

ただそれだけだった。

 

ゴール

13時間44分40秒。
制限時間の約15分前。

「World Theater Projectを応援してください!」
というゴール時にお願いしておいた宣伝文句が放送される中、
ゴールテープを切った。
(テープがあったか正直覚えていないのだけど)

レース前の試算が13時間40分だったので、
ペースを早めた部分と怪我で走れなくなった部分を合わせて、
ほぼとんとんだった。

すぐさまボランティアの中学生が駆け寄ってきて、
「計測用のチップを外して渡してください」
と迫ってくる。
急に止まることができるわけもなく、
「ちょっと待っててね」
と声をかけて右往左往する後ろを、
その中学生はずっとついてきていたのがすごく記憶に残っている。

荷物を預けていた館内に入り、10時間ぶりくらいに腰を下ろす。
やはりだいぶ浮腫んでしまった足からシューズを脱がせる。

IMG-6909

この3ヶ月前に突然亡くなった上司に訳あって選んでもらった(選ばされた)ミズノのシューズ。
この靴を必ずゴールラインまで連れて行きたい、という願いは、なんとか叶った。
ゴールした瞬間よりも、脱いだこの靴を眺めたときの方がやり切った実感がわいた。

体育館に移動して、後夜祭。
底なしの食欲が爆発。
そして我慢していた酒!
オリオンビールオリオンビールオリオンビール!!!

IMG-6910

疲れで一気に酔いが回るかと思いきや、何杯でも飲めた。
追加を取りに行くのに立ち上がるために、毎回3分くらいかかる。
まともに身体が動かない。
気持ちだけは元気だった。

タクシーを呼んで宿に帰り、シャワーを浴びる。
リビングで50kmの部を走り終えた学生のグループが酒を飲んでいた。

「一緒に飲みましょう!」

と声をかけてもらうも、この頃には話す元気はなく、一杯だけ飲んでベッドへ。

「もう二度とやるか」

と思いながら、眠りについた。

 

走り終えて

挑戦を終えて、何を得たのか。

絶対的な自分への自信。
かつて感じたことのない達成感。
苦しみから圧倒的な解放感。

正直に言うと、そんなものは一つも手にしていない。
「こんなに辛いことは人生でもうないのだから、これからは何があっても大丈夫」
なんていう想いもない。
100kmマラソンより辛いこともある。

翌日くらいには割とあっさりしていて、
「もう二度とやるか」は「次はどこを走ろうか」になっていた。

でもそれは、「走っても大した意味はなかった」という意味ではまったくない。

実は、やってよかったと思う瞬間はゴールにはなく、
半年間の過程に、関門を突破していく道のりにあった。

半年前の7月に走り始めたときは、6km走るだけでクタクタになり、
その翌日には身体はバキボキになっていた。

それが徐々にハーフマラソンを走れるまでに戻っていき、
初のフルマラソン完走に辿り着き、
ウルトラマラソンの領域に足を踏み入れることができ、
そして100kmに至ることができた。

そうやって、「自分は確かに進んでいくことができている」と感じられること、
それが一番得たかった実感だったと気づいた。

だから、100km走れた過去は、もうどうでもいいのかもしれない。

これから新たにどんな挑戦をするのか。
どうやって「より前に進めている」と実感できる日々を過ごせるのか。

大切なことは、現在進行形で挑戦し続けること。

それはもう、マラソンという形でなくてもいい。
(まだまだ走りたいのだけど)

何かを成し遂げた過去よりも、未来の何かを目指している現在を持つこと。

この挑戦から教わったのは、そういうことだと思う。

IMG-6937

あれから1年。
今年は、何を目指そうか。