2016年 9月 の投稿一覧

ウルトラマラソン挑戦記〈2〉:星に手を伸ばせば

ここ最近、午前中の体調がものすごく悪い。
誰かが僕の藁人形に5トンくらいの重りを付けて呪っているのかもしれない。
人物を特定できないほど、謝りたい人たちは沢山いる。

なので、この場を借りて。
まとめて、ごめんなさい。
あらゆる罪を、まとめて。

今すぐ重りを外し、束ねた藁をほどき、
牛の餌にでもしてあげてください。
そちらの方が世のため、少なくとも牛のためになります。

よろしくお願いします。

 

冗談抜きに今日も、最近の天候のように重々しい朝だった。
朝食もほとんど喉を通らない。

100kmマラソン当日は5:00(もちろんAM)スタート。
本当は今のうちから早朝の練習をしておきたいところなのだけれど、
それも叶わず、お昼過ぎに体調が落ち着くのを待っての練習となった。

来週末が40kmの挑戦なので、今日は3週間ぶり(そしてまだ2度目)の30kmランと決めていた。

「甲州街道」まで片道6kmを往復する【コース・K】を2往復と、
「小竹向原」の交差点まで片道3kmを往復する【コース・K2】1往復。
合わせて30km。

たまたま【K】が二つになってしまったけれど、
【K2】は名前がかっこいい。
標高8,611メートル、カラコルム山脈にある、エベレストに次ぐ世界で2番目に高い山。
名前の由来は、

「高度、2番目」

の略。
…んな訳はなく、

「Karakorum No.2」

カラコルム山脈測量番号2号ということらしい。
こういう無機質なネーミングは、時にとてもかっこよく響く気がする。

 

 

【コース・K】往路(1回目):0〜6km

散歩中のプードルに襲われそうになったこと以外は何の問題もなく、甲州街道との交差点へ到達。

近くにあるミニストップは補給所としてとても良い。

徐々に「飲食物を補給した直後の走り方」も学んでいかなければいけない。
今のところのお気に入りは、

・レモン&チーズパウンド(273kcal):124円(税込)
・キッコーマン 調整豆乳(200ml):97円(税込)

のセット。
パウンドは程よくしっとりしているので飲み込みやすく、
豆乳は量的にちょうど良い。
ゆっくり時間をかけて食べて、食後はあまり体が上下に跳ねないように走れば、
危惧している腹痛はまったく起こらない。

ちなみにこのお店、ホスピタリティも驚くほど良い。
前回利用した時は店員さんがマラソンの応援までしてくれて、

「ご馳走様」

と口にしたコンビニは人生で初めてだった。

 

【コース・K】復路(1回目):6〜12km

10km地点前後で、身体が最高に軽くなる。

「フロー状態」「ゾーンに入る」「ランナーズハイ」
様々な呼び方があるけれど、おそらくそれに近い状態が来るのはだいたいこの辺り。

今は気晴らしのランニングではなくトレーニングで走っていることもあり、
走っている時は基本的に身体と会話している。

・腕の角度は上がりすぎていないか
・足首を固めすぎていないか
・身体が上下に跳ねていないか
・爪の痛みが始まっていないか
・上から吊るされているように背筋は伸びているか
…etc

でもゾーンに入ったような状態になると、ほとんどそういうことも考えなくなる。
周りが静かになっていって、身体はまったく疲れず、
体の輪郭の中と外の境界がなくなっていくような感覚になり、ただただ進んでいく。

その時は、その状態に委ねるだけ。
余計なことは考えない。
「ずっとこのまま走れたらいいのに」と思いながら、
すべきことは、その流れを断ち切らないようにすることだけ。
乗っかった流れから外れないように。
(でも、集中が乱れるので、意識し過ぎもダメ)

練習で困るのは、信号待ちがあること。
せっかくの流れが…

 

【コース・K】往路(2回目):12〜18km

この辺から、やはり今日はコンディションが良くないなと感じ始めた。
3週間前の30kmランの時は、身体の軽さがこの距離の区間が一番維持できていた(コース違うけれど)。
雨もパラパラと降り始め、iPhoneをコンビニのビニール袋の中にしまう。

登り坂に差し掛かると、「少し足が重くなっている」というのをかなりはっきり感じた。

中野の祭りが始まったようで、神輿が担がれていた。
あちこちの店頭に酒やつまみが現れ始め、焼き鳥の甘ダレの匂いにそそられた。
交差点の横断歩道で、神輿を眺めながら運転する車がカーブしてきて轢かれそうになった。

楽しそうに担がれている神輿の隣で、担架で運ばれていく自分を想像してみる。
かなり嫌だな…

 

【コース・K】復路(2回目):18〜24km

「もう無理」ではなく、「もうやめたい」と思い始める。
体力的にはまだ問題なかった。
一番の問題は、

「飽き」

味気ない見慣れたコースを何回も通るのは、だんだん苦痛になってくる。
知っているコースの利点は、目印を見つけられること。

「もう少しで折り返し」

など、感覚的に把握できるので、ペースメイクにもなる。

でもやはり、デメリットの方がずっと多い。
楽しくない(笑)

それもメンタル方面のトレーニングだと考えるしかない。

モチベーションが下がってきた悪影響か。
信号待ちで止めていたランニングアプリを再開させるのを忘れ、
700メートルほど走ってしまっていた。

これは地味にストレスになるミス。

 

【コース・K2】往路(1回目):24〜27km

【コース・K】の2往復が完了した時点で、よっぽど「もうやめてやろう」と思っていた。
天気も悪いし、体調も良くないし、走り終わったらやることもあるし、もうええやん。

でも、「やると決めたこと」をやらない癖を、今から付けたくなかった。

「敬遠は一度覚えるとクセになりそうで。」

と、『タッチ』の上杉達也も言っている。
敬遠は戦略の一つでもあるだろうけれど、怠惰はただの甘え。
もっとタチが悪い。(『タッチ』とかけているわけではない。)

ということで、水分補給だけして、【コース・K2】の往路へ。

元々、小竹向原へ向かう【コース・K2】の方が先に開拓した道だった。
何年も前から、ハーフマラソンの練習はいつもこの道を使っていた。
でも信号が多過ぎて難を感じていたところ、甲州街道を目指す【コース・K】を開拓。
今ではそっちがメインになっているので、
残念ながら小竹向原は【2】となった。
うちは年功序列ではないのだよ、残念ながらね。

とはいえ、【コース・K】の3回目の走行は嫌だったので、
気分転換も込めて【コース・K2】に切り替えた。

ハーフマラソンの練習と違い、100kmを意識しているのでペースはずっと遅い。
ペースが変われば信号運も変わる。
昔はあれだけ信号で止められていたのに、今日は「青」ばかり連続で続いた。
これは思わぬ喜ばしい誤算だった。

往路でいう2km地点に、少し急な坂が一つある(行きは下り、帰りは上り)。
疲れに気づくのは、上りよりも下りのことが多い。
上りは乳酸的なきつさなので、気合でなんとかなる。
でも疲れている時の下りは、踏ん張りが利かず膝が曲がらないのでちょっと危ない。
昔から膝が悪い身としては、下りの方がきつい。

今回のこの下りも、「あぁ、だいぶキテるな」という実感がわいた。

その後すぐに階段の上りがあるのだけれど、いつも思う。

「どうせ上るのなら、下るな。」

と。

でもそれは、小さき人間の我儘に過ぎない。
地形の方が大先輩だということを忘れている時は、謙虚さに欠けている。

謙虚さを失うと、大抵悪いことが起こる。

 

【コース・K2】復路(1回目):27〜30km

「これでラスト!」と思うと、決まって一気に身体がきつくなる。
この法則は何なのか。

小竹向原の交差点で折り返し、せっせと上ってきた階段を下り、例の坂をせっせと上り、
もう少し進んだおそらく28km地点で、事は起こった。
(カウントされなかった幻の700メートルを入れた場合)

強い脱力感と目眩に襲われ、これはさすがに足を止めないとまずいと思い、中断。

エネルギーが足りなくなってハンガーノックみたいな感じなのか、
それとも昨日変えたばかりの乱視用コンタクトのせいなのか、
止まっても目眩が消えない。

ポケットに忍ばせておいたウイダーの塩分入りタブレットをボリボリと2粒食べて、
コカコーラの自動販売機で500mlのペットボトルを買い、
後先考えずに一気に飲み干した。

ストレッチを長めに入れて、15分ほど休んだものの、
同じペースで走り続けるのは不可能と判断。

何かあった時に電車やタクシーで帰れるように、
ジッパー付きの小さなプラスチック袋に2000円入れて走るようにしている。

ついに使うときが来たかとも考えた。
だけど、28kmまで数字を貯めておいて、
30にさせずに終わるのはあまりにも口惜しい。

これが登山だったら、たとえ山頂手前でも絶対に戻らなければいけないと思う。
でも幸いなことに、ここは近所の隣駅。

どれだけペース落としてもいいから、30kmまでは行こうと決意。

ちなみに、あの幻の700メートル分が引かれているので、正確な表示は27.3kmだった。
ここでこの700メートルが効いてくる…
本当ならあと2kmでいいのに、このボロボロの身体で2.7km走らなければいけない。

何を言っても始まらないので、ずるずると引きずるように足を前へ前へ進める。
「進む」というか、「削る」の方がイメージに近い。

残りの距離を、10メートル単位で「削って」いく。

この時は、チラチラとアプリを見ないことが大事。
疲れている時は、思っている進度からかなり割り引いて考えても、
それよりもさらに進んでいないもの。
メーターを見て受け取れるものは絶望感しかない。

これを俗に、『進度・bad』という。

今何キロ!?
そうね だいたいね〜

きついのは!?
そうね 大腿ね〜

…今日の僕の疲れ具合を推し量っていただけたらと思う。

 

700メートル余分に走らされることにはなってしまったけれど、
無事に30kmは走り終えることができた。

30km

最後は意地だけど、意地をなくしたら挑戦はできない。

 

 

 

以前、陸上をやっていた友人が言っていた。

30kmに、一つ目の壁がある。

ウルトラをやるのであれば、毎日10km走っててもダメ。
月に数回でもいいから、30km超えの練習が必要。

7月に少しずつ走り始めてから、順調に距離を伸ばしてきた。
でもやはり、ここで一つの頭打ちが来そうな気がしている。

10点のテストを30点にするより、
30点のテストを50点にする方が、
同じ20点でもずっと難しい。

これが60、70と進んで行くごとに、
上昇のペースは下がっていくと今から覚悟しておいた方がいい。

 

そう思うと、100kmの目標は今の自分には遠すぎると思う。

走れる距離が上達すればするほど、目標に近づけば近づくほど、
その難しさがわかって、かえって遠く感じてしまう。

 

でも、

かっこよく言えば、「もうやると決めた」から。
かっこ悪く、そして現実的に言えば、「もうお金払って申し込んでしまった」から。

やるしかない。

 

できると分かっている70を目指せば、
目標に達して70を手に入れられるかもしれない。

でも、

できないかもしれないけれど100を目指せば、
やっぱり届かなかいかもしれないけれど、
でも80を手にできるかもしれない。

星に手を伸ばせば、泥を掴まされることはない。
星に届かなくても、雲なら手に入るかもしれない。

そんなことを、誰かが言っていた。

 

挑戦とは、そういうことだ。
今やりたいのは、そういうことだ。

ウルトラマラソン挑戦記〈1〉:申し込み完了。

第27回 宮古島100kmワイドーマラソン」への申し込みが完了した。

 

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↑受付メールのスクリーンショット

 

こんな距離に挑もうとしておきながら、
まだフルマラソンもやったことがない。
ハーフマラソンは何回か出たことがあって、
先日31.5kmを走ってようやく最長記録を更新したところ。

それでも走り終わった後数日間は身体にかなり響いていて、
左膝と右足首は1週間くらい歩くのも痛いほどボロボロだった。

その距離をあと2回走ってもゴールじゃないというのは、
覚悟はしていたけれど想像以上にチャレンジングだなと痛感。

でも、挑戦してみたいという気持ちは消えない。

 

 

 

そもそも何でやろうと思ったかというと、
思い当たることが3つある。

 

①リベンジ

実は、バカなことに学生時代にノリで申し込んだことがあった。
卒業前の最後の年度。

が、延ばし延ばしにしていた論文の追い込みでそれどころではなくなり、
現地入りすることすらなく棄権した。(もったいない…)

100kmマラソンは他にも四万十川とかサロマ湖とかいろいろあるけれど、
走るとしたら宮古島リベンジにしようと。

 

②初沖縄

三線(さんしん)の音色が好きで、これまたバカなことに、
楽器なんてほとんどやったことがないのに初任給で購入。
その翌月に、卒業される先輩の送り出し会で島唄の替え歌を披露するという大きな試練を乗り越え、
一心同体の心の友になったかと思いきや、今は部屋の隅で埃をかぶっている。

ともかく、沖縄から取り寄せて買うくらいの情熱はあったのに、
実は沖縄に一度も行ったことがない。
バカなのですね、やはり。

ということで、沖縄に初上陸する口実も欲しかったのだと思う。

 

③ちょうど良い距離感の目標

「出るか」と考えたのが7月頃。
7月は何かと思うところがある月で、
現状を変えるためのチャレンジを持ちたいと思っていた。

短期的過ぎず、長期的過ぎず、
程よい(時間的な)距離感の目標が欲しかった。

そこでいうと、「半年後」というのはとてもしっくりきた。

現状の体力や経験では内容的には到底敵わないけれど、
半年間本気になればなんとかなるかもしれない。

そう思える距離感なのでは、という感覚があった。
これ以上期間が空くと、「もっと近くなってから練習しよう」と先延ばしにしてしまいそうだった。

 

 

 

過去の記憶を辿ると、制限時間は16時間のはずだった。
のだけど、今月頭に受付開始してからよく見てみると、「14時間」。
かなりの誤算…

単純計算「8分24秒/km」でぴったりのペース。

それだけ聞くと第一印象だいぶ余裕がある気がしてしまうが、
長丁場のレースとなれば、「休憩」「トイレ」「食事」など、
ハーフマラソンレベルでは考える必要がなかった時間がかかってくる。
後半のバテや怪我によるペースダウンなども考えると、
初心者には全く余裕なんてない制限時間だと思う。

今日まで2ヶ月弱走ったり考えてきた経験だけでいえば、
今のところ「6分40秒/km」を基本ペースにしようと思っている。

先日の30kmマラソンの時に、ほぼほぼブレなくこの前後のペースを維持できて、
そしてとても気持ち良かった。
これ以上速くしたら、今の自分ではウルトラは持たないと思う。
ハーフマラソン感覚のペースで走ってはいけない。
「自制心」もこの挑戦の一つのテーマだなと思う。
(本当はもっと速く走った方が、気持ちも乗るし風を感じて気持ちいい)
逆にこれ以上遅くすると、一歩一歩の体重が足にズシンズシン乗っかり過ぎて辛くなる感じがする。
実際に、その前のハーフマラソンは7分/kmを維持で走ってみたけれど、
最後の3kmはかなり足がきつかった。
(まだ練習始めたばかりで基礎体力がなかったことも要因だと思うが。あと、すごい猛暑だった…)

単純に「遅くすれば楽」というわけでもないのかな、
と、今のところ思っている。

 

この計画が正しいのかどうか今は分からないので、
大事なことは今のうちから色々実験してみること。
自分の身体の声によく耳を澄ませて、
柔軟に作戦を変更していくこと。

さっき書いた3つの理由に入れていなかったけれど、
この「自分とじっくり対話する」ということをやりたかったから、
長い距離のマラソンを選んだのかもしれないとも思う。

「耳を澄ませる」という力が弱まっていると、ここ数年ずっと感じていた。

走っているときは、余計な思考が抜けていく。
頭の中が静かになる分、身体の声がよく聴こえるし、
普段消えていた感性も鋭くなる。
空っぽになった頭が真空のように、
もっと今の自分が感じるべきことを吸い寄せてくれる。

というような感覚になれるのが、とても好き。
身体はきつくても、走っている時の方が楽だとすら思う時も多い。

 

…などと言っていられるのは、今くらいの距離のうちだろうなと思う。

「走る方が楽とか、寝言でした。ほんとすみません。」
と謝りながら、100kmの道に涙と鼻水を垂らしているかもしれない。

 

 

本番の1月15日まで、あと126日。
4か月ちょっと。

7月は、走るという感覚を思い出す。
8月は、以前の体力に少しでも近づく。
9月は、練習の本格化に向けた土台作り。
10月・11月は、追い込みで50km以上の練習を重ねる。
12月は調整で、1月が本番。

そんなイメージを持っている。

 

一番大切なのは、怪我をしないこと。
短期決戦ではないことを肝に銘じる。

 

いい挑戦になりますように。

個人的な井戸の底にある共通の水脈

この1週間、足首を壊して歩きづらかったり、
疲れが溜まっていたせいか、両腕に出現した発疹が消えなかったり、
ちょっと大変だった。
今日ひと段落があったので、明日は小休止を入れようと思っている。
「何をしようか」と考えた時に真っ先に思いついたのが、

「走りたい」

だった。
サッカーをやっていた時も、身体を動かしていないと落ち着かない体質だった。
マラソンを再開してからも、またその傾向が見られる。

スポーツは、一つの中毒だと思う。

 

 

夏は夜。

特に、秋に向かい始めた夏の夜はとても好き。
暦の上では8月7日が立秋だそう。
でも、今くらいの時期にならないと、
なかなか秋に向かっているとは感じられないのが正直なところ。

湿気が引き始める感覚。
そのおかげもあってか、虫の音もより響く。

都会は景色が良くないけれど、虫の音は変わらず綺麗だと思う。
ただそこにだけ耳を傾けて、一晩を過ごしたくらい。

帰り道は、自然とその音が聴ける道を選んでしまう。

感性を失った時が、一番怖い。
この感覚は、大事にし続けたいと思う。

 

 

 

最近の本

ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)
ユング心理学入門 〈心理療法〉コレクションⅠ

カンボジアにいる後輩から、「これ、読んでおいてください」と与えられた課題図書。
著者の河合隼雄さんは、日本人でユング心理学を学んだ(おそらく)先駆的な方で、
箱庭療法を日本に導入したことでも有名。

この方の著書は何作か読んでいて、元々かなり興味を持っていた。
特に『影の現象学』は飛び抜けて面白く(最初に読んだ本がこれだったことも大きいと思う)、
人は無意識の中に「自分が生きることを選ばなかった形」をどれだけ押し込めているのかを教えてくれた本で、今でも時々読み返す。

影の現象学 (講談社学術文庫)
影の現象学

この本を読んでから、寝ている時に見る「夢」に対する見方も相当変わった。
(悪く言えば、不必要に夢に意味を感じてしまうようになってしまった。夢は昔から嫌になるくらい見る)

河合さんの自伝『河合隼雄自伝 未来への記憶』も面白い。

河合隼雄自伝: 未来への記憶 (新潮文庫)
河合隼雄自伝 未来への記憶

表紙を見ればひしひしと感じるけれど、
河合さんが「愛すべきおっさん」であることがよくわかる本。
持ち前のユーモアで、気に入られる人にはとことん気に入られ、
相性の合わない人とは徹底的に喧嘩する姿がとても気持ちいい。
とにかく「一人ひとりの人間」への関心が尽きないところも魅力で、
臨床をとことん大事にする姿勢に繋がっているのだなとわかる。
心理学というと、人を理論で見出されたカテゴリーに区切ってしまうイメージがあるけれど(「あなたは何々型」とか)、
河合さんはあくまで「一人ひとり」を見ていると思う。
尊敬する方々を思い浮かべると、みんなこの「一人ひとり」を大事にしている。

 

話が戻って、『ユング心理学入門 〈心理療法〉コレクションⅠ』で特に面白いのが、
「個人的無意識」と「普遍的無意識」の話。
これは他に読んできて好きだった本にとても共通している分野。

河合隼雄さんは村上春樹さんと対談をしている(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』という本にもなっている)。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
村上春樹、河合隼雄に会いにいく

「河合さんは、自分の物語を深い場所でわかってくれる唯一の人」
というようなことまで語っている村上さんは、
物語を生み出すときに降りていく心の深い場所を「井戸」に例えることが多い。
あくまで「個人的な」井戸を深く深く降りていくと、
人間にとって「普遍的に」通じる水脈にたどり着くことがあると。

 

個人的な感覚ではあるけれど、芸術家の真価は、
本当に深いところ(水脈)から汲み上げたものを、
自分という通路を通してとても個人的な表現で浮かび上がらせて、
だけどそれに触れた人たちを、もう一度深い水脈まで降ろさせてしまうことではないかと思っている。

村上さんも「自分が書き上げたものの意味がわからない」とインタビューでよく語っていて、
その辺りは「個人的無意識」に通じるのかもしれないし、
読み手もなぜか「なんとなく知っている感覚」を呼び覚まされるのは、
表現されたその「個人的無意識」が「普遍的無意識」に繋がっているものだからではないかと思う。

村上さんはユングの言っていることにとてもシンパシーを感じているそうだけれど、
ユングの本は意識的に読まないようにしているらしい。
知り過ぎてしまうとそこに引っ張られて、
自由な創作活動に支障をきたすかもしれないから、というような理由だったと思う。

両方読んでいると、「いやいや、こっそり読んでるんじゃないか?」
と思うくらい、語っていることが共通していて面白い。

 

このような話は、心理学や芸術の世界だけではなく、
「リーダーシップ」や、(まだかじった程度で不勉強だけれど)「量子物理学」の分野でも、
「あぁ、井戸の底の話と繋がっている」と思えることもある。

そもそもジャンルなんて便宜的に区切ったもので、
無理やり引いた国境線のようなものだと思う。
枠にとらわれずに共通する何かを感じ取った時は、
「学ぶって素晴らしいことだ」と心から感じるし、
もっと学び続けたいと思う。

自社本だけれど、ここまでの話にとてもマッチする本はこれ。

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源泉 知を創造するリーダーシップ

久しぶりにじっくり読み返したい。
そうそう、明日は「走りたい」と同じくらい「本に浸りたい」。

そしてとりあえず、発疹にお引き取り願いたい…

 

 

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(いい感じの「井戸」の写真のフリー素材は、案外ない。)

根本的な自信について

月が変わるたびに、「今年の何分の何が過ぎたのだろう」といちいち計算する癖がある。
7か月が終わった先月頭は、「割り切れずに中途半端だな〜」と感じた記憶がある。
だけど8か月が終わった今は、「3分の2か…」という、もう少しリアルな実感がわいている。

あと3分の1。

節目になったら何かやり出す(「ブログの更新を再開する」はとても典型的…)のは、
裏を返せば「節目にならないと始められない」弱さでもある。

分かってはいるけれど、たとえそうであろうと、
やらないよりはやった方がいいのだろう。たぶん。

ということで、久しぶりにキーボードを叩いてみる。
あまり時間を割くつもりはないので、ばーっと。

 

 

 

「根本的な自信」というものについて。

 

「根本的な自信」という言葉は直感的に出てきたものなので、
あまり語源的な意味は考えていない。
ただ第一印象でしっくりきているというだけ。

「根本的な自信が見当たらなくなった」という感覚が、ここ数年強い。
「見当たらなくなった」などと考えているということは、
「それがあった時期もあった」という風にどこかで思っている証拠だと思う。
そもそも持っていなかったものに対して、「失う」ような感覚がわくことは多分ないだろうから。

 

振り返ると、「それがあった」ように思い当たる時期もある。
ありがたいことだと思う。

でも、ある程度でも自分に自信が持てていた時でも、
能力や技能において誇れていたと思えることは、
不思議なことにあまり思い当たらない。
傲慢になっていた時期はあったけれど、
「絶対的にこれはできる」という確固たる自信を持てていたものは、特にない。

 

そこにあったのは、「学び続ける謙虚さ」「何としてでもやり切りたい執念」だけだったと思う。

能力がなくても、「何かにぶち当たったら学べばいい」「できる人に謙虚に頼めばいい」と。
「執念さえあれば、色々なことが味方してくれる」と。

 

今、「根本的な自信が見当たらなくなった」と感じているのならば、
「学び続ける謙虚さ」と「何としてでもやり切りたい執念」が欠如しているのかもしれない。

そう改めて言葉にすると、ものすごい危機感を覚える。

謙虚さを失ったら、いったい自分に何が残るのだろうか、と。
でも、本当に大切なものを見失いかけている時に違和感を感じられる、
というのは、とても恵まれていることだと思う。

自分への正直さを無くす時が、一番怖い。

 

 

今日の本

写真家・星野道夫さんの没後20年を記念して、
あちらこちらの本屋さんでブックフェアが開催されている。

恥ずかしながらこの方のことは知らなかったのだけど、
棚に平積みされている写真集を何ページが繰ると、
アラスカの圧倒的な光景に呆然としてしまった。

 

星野道夫 (別冊太陽 日本のこころ 242)
星野道夫 (別冊太陽 日本のこころ 242)

確かこの本だったと思う。

深い青の空の下に広がる雪原に、
鯨の巨大な骨(おそらく肋骨)がストーンヘンジように無数に突き刺さっていて、
真ん中に十字架が一つ立っている写真があった。
言葉にできないけど、次のページにいけなくなるような強さがあった。

「呪術的」というには爽やかすぎるけど、
「自然美」というには魔術的すぎるような。

人が見惚れるものには、たいてい両義性が備わっている気がする。
時には矛盾を感じるほどに。
(「呪術的」と「自然美」を対にするのはまだ言葉の納得度が全然足りないけど)

去年日本で引退したバレリーナのシルヴィ・ギエム。
「彼女のパフォーマンスは両性具有的・中性的」という声が多かった、
という話を思い出す。
年越しのラストパフォーマンス、あれは涙が出るほど感動した。

 

カリブー 極北の旅人
カリブー 極北の旅人

彼が愛してやまないアラスカの自然の中でも、
カリブーに対する思い入れはとても強かったそう。
ちなみに、和名が「トナカイ」、英名は「レインディア」、
「カリブー」は北アメリカに生息する個体を指すときに使い、
イヌイット語が語源になっているそう。
どれも素敵な名前だと思う。

「トナカイの絵を描け」と言われたら、
絵心のない自分はおそらく「前に長い角」を描いていたけど、
むしろ後ろ側に伸びて、折れ曲がって上に突き出る角の迫力がすごい。
形にはだいぶ個体差があるけど、枝分かれした部分は人の指みたいで、
角全体が、見えない球体を掴んでいるか、天を仰いでいる両腕に見えた。
とにかくすごい。

 

星野道夫著作集〈1〉アラスカ・光と風 他
星野道夫著作集〈1〉アラスカ・光と風 他

写真だけでなく、この人は文章もとても好き。
誇張したり着飾った表現はなく、「短文。短文。」で続くとても良いリズムの文章。
達観した落ち着きのように感じる時もあれば、
初めて触れたものへの少年のような感動が表れているところもあり、
個人的には抵抗感が全然なく、すんなり入っていってしまえる。
パラパラとしか読めていないけど、全著作読んでみたいなと思えた。
危険だ…

 

 

カリブー

カリブー。
僕はヤックルの姿を重ねて見ているのかもしれない。