ホントのこと

自分を取り繕う余裕すらなくなる挑戦の価値:『ランニング思考』

慎さんには遠く及ばないけど、僕も100kmマラソンを走ったことがある。「なんでわざわざ長い距離を走るの?ただ走るだけで楽しいの?」という質問を散々受けた。かつては自分も陸上をやっている人たちに対して同じことを思っていたので、問いたくなる気持ちはよくわかる。苦しいだけで、何が楽しいのかと。

ましてや、慎さんのように「本州縦断1648kmマラソン」ともなれば、もはや狂気の沙汰にしか思えないかもしれない。だけど実は、この極限体験の中に、体力だけでなく人間性を磨く上で大事なことがたくさん詰まっている(と、少なくともマラソン好きからしたら心底そう思える)。

 

ランニング思考──本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと
ランニング思考──本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと』(晶文社)

 

特にこの本の中で共感したのは、極限常態の中で生まれる二つの心情の変化について。

 

一つは、「自己顕示欲がなくなる」ということ。

信じられないほど苦しい。苦しいのだけど、苦しさのあまり、もはや周りの目がどうでもよくなる。かっこつけている余裕がない。素の自分である以外の余裕がない。慎さんも書いているように、とても「穏やか」な気持ちになる。

年齢を重ねるごとに、未熟さに対する恥じらいの気持ちや、年相応の貫禄への憧れなど、本当はあまり必要ではない、むしろ邪魔になる気持ちが芽生えてくる。どちらも、自分を強く見せようとする隠れ蓑。自分を取り繕う余裕すらなくすほどのぎりぎりの挑戦というのは、そんな自分をもう一度真っ裸にしてくれる。

 

もう一つは、「謙虚になる」ということ。

走っている最中、自分ではコントロールできないことと山ほど出くわす。予想外の怪我、荒れる天候、心折れるのぼり坂…(慎さんの走行記を読めば、こっちまでげっそりするくらいに痛感すると思う)。どんなに練習を積んで自分側を鍛えても、否応のないものと対峙しなければならない瞬間が必ずくる。

たいていはまず、愚痴がこぼれる。「雨ふざけんな」とか「なんでこの辛い時にのぼり坂があんねん」とか。でも最終的には、「やるべきことは一つしかない。変えることのできないこの環境に対して、いま自分にとってできることは何か」という心に落ち着く。

どうにもならない自然への敬意も芽生えるし、ちっぽけな自分を支えてくれるボランティアや応援者の人たちへの感謝の気持ちも強まる。自分を過小評価する自己卑下ではなく、すべてを敬う本当の謙虚さと出会える。そんな気がする。

 

総じて、「あるがままの自分で、そんな自分にできることを一つずつやるしかない」という気持ちになれる。だから、変に強がったり、愚痴ばかり言っていたり、そういう状態になりかけたときは、このスポーツは心からおすすめ。素直に、謙虚に、あるがままになるために。

本の最後にも書かれているけど、極限体験で学んだことを、日常に落とし込むことは本当に難しい。あっという間に走る前の自分に戻ってしまっているようにも思える。「また走りたい」と思うことがそもそも、「あのとき学んだ気持ちにまた戻りたい」という気持ちの表れで、やはりせっかくの学びを活かしきれていないのだろうなと感じる。そうやって、終わることなくいつまでも走り続けていくのかもしれない。

 

この本を読むと、十中八九、慎さんが超人に見えると思う。毎日熱や怪我を抱えながらフルマラソン以上の距離を走り続ける。しかも、走りながら仕事のSkypeミーティングをしている。ウルトラマラソン経験者から見ても次元が違い、凄すぎて読みながら笑ってしまった。

でもおそらく、超人的に見られることよりも、弱さを抱えながらも挑戦し、そんな自分を超えたり許したりしながら人として成長していく、そういう面に焦点を当てた方がよいのだと思うし、その克己し続けていく姿こそが、この本の一番の魅力だと思う。

 

9月。7年前のちょうどいまくらいの時期に、自転車の旅で慎さんのルートと同じ日本海側を爆走していた。逆方向ではあるけど、あそこのトンネルの怖さとか、あそこのコンビニのなさとか、あそこの峠道のやばさとか、とても懐かしい気持ちで読んでいた。冒険の高揚感が蘇ってきた。

走ることによる内面的な変化を知ろうと思ってこの本を手に取ったのに、具体的な走り方や工夫のところにもいっぱい傍線を引いてしまっていた。おそらく僕自身、いままた走りたがっているのだと思う。

 

▼以前挑戦した、宮古島100kmマラソンの記録
ウルトラマラソン挑戦記〈5〉:宮古島100kmワイドーマラソン

人生の最期に聴きたい音

アプリのカレンダーを下にスクロールしていたら、あっという間に何十年も先の日付にたどり着いてしまった。「もうこの頃には生きていないだろう」という時期が、間違いなく今の延長線上にあって、そしてとんでもなく近くに感じる。

新しい1ヶ月が始まったと思った矢先、気づけばもう終わりを迎えている。月替わりがどんどん早く感じるようになってきている。これから先、もっとずっと加速していくのだと思う。

 

「メメント・モリ=死を想え」

死を想うことで、生が豊かになる。そんな思いから、様々な立場の方々と死について考える場を提供している、日本メメント・モリ協会の占部まりさん。先日、そんな占部さんのお話を聞く機会に恵まれた。すごく印象的だったのが、占部さんが最後に放った問い。

 

「人生の最期に聴きたい音は?」

 

不思議な問いだと思った。深く考えることもなく、すっといくつかの音が浮かんだ。風に揺れる葉の音。静かな雨音。穏やかな波の音。その音が聴こえてくる風景も見えた。

明日死ぬとしたら?」とか、「死ぬまでにやりたいことは?」とか、死に関する問いはよく耳にする。だけど、この「音」に関する問いを考えたとき、いつもとはまったく違う感覚になった。焦りとか、物悲しさとか、今の自分の甘さへの嫌悪感とか、そういう類のものではない。カレンダーの先を見るのとは違う、とても穏やかな気持ちになった。最期の瞬間、その音に耳を委ねている感覚を想像したとき、少し大げさに言うならば、何かが許されて、解放されていく感じだった。

 

占部さんも、この問いの答えに「波の音」を挙げていた。海は生命の象徴。おそらく、他にもこの音を挙げる人は多いのではないかと思う。

以前、すごく疲れたときに、無性に海へ行きたくなったことがあった。雨が降っていたにもかかわらず、鎌倉の由比ヶ浜まで行って、傘をさしながらずっと波の音を聴いていた。あのときの感覚は、占部さんの問いへの答えをイメージしながら感じたことと、かなり近い気がする。その日の感覚を綴った恥ずかしい文章が残っていた。

 

久しぶりの海。磯の香りとほぼ同時に道路の向こう側に見えた水平線は、記憶していた以上に随分高い位置にあった。天候のせいで波はやや荒れ気味で、白波が段々畑のようになって押し寄せ続けていた。ずっと昔から、誰の記憶にもないような頃から、ただひたすらこうして波を寄せ続けていたのかと思うと、途方もない気持ちになる。

何か意味を見出すでもなく、ただ「見る」。それはなんて難しいことなのだろう。意味を見出そうと頭を絞って考え続け、結局は何も「見えていない」、そんなことばかり。全ての判断を捨てて、ただ見て、感じる。そういう時間は生きていく上で必要だと思う。だけど、今の僕には本当に難しいこと。いつの間にか、難しくなってしまった。

目を閉じて波音を聞いていると、だんだんと耳の外からではなく、体の内側から聞こえて来るような感覚になる。内側から波が身体と外界の境界線にぶつかって、体の輪郭をはっきりと知覚させる。人の中にもきっと、海があるのだろうと思う。

引き波で静かに撫でられた砂浜には、まばらに白い粒が散らばっていて、星が点在する宇宙に見えた。確かにつけたはずの足跡は、少しずつ輪郭を消されていく。自然の力は、物事の境界線をなくす方へと導いているのかもしれない。大きな大きな一つの点へと戻っていく。

 

星屑から生まれた命が、一つの点に戻っていく。なんとなく、死に対してそんなイメージを持っている。反対に、輪郭がぼやけていって、心身が粒になって離散していくイメージもある。収斂なのか、離散なのか。実際のところは、その瞬間が来てみないとわからない。

浮かんだ3つの音はすべて、ずっと昔から鳴り続け、そしてこれからも変わらず鳴り続けるもの。悠久を感じられるもの。それは、存在してきた期間を終えて消えゆくときに、身を委ねたい拠り所なのかもしれない。

 

人生の最期に聴きたい音。それを聴きながら抱きたい気持ち。

「人生で何を成し遂げたいか」、いつもいつも、そんな大きなことを考えていなくてもいいと思う。「どういう感覚を抱いていたいか」、それくらいでも。もしかしたら、そちらの方にこそ本質がある可能性だってある。いずれにしても、そう遠くなくやってくる最期を思ってみることで、今の考え方や行動が少しでも建設的な方向に変わればいいのだと思う。「音」をイメージしてみるということは、まさに悲観的にならずにそれができる良い方法かもしれない。

建設的行動…とりあえず僕は、抜かりなく耳かきをしておこうと思った。耳が詰まっては、最期の音色も聴けぬ。おセンチなことを書いてきた割に、そんなことしか思い浮かばない自分が恥ずかしい。恥ずかしいのだけど、

「抜かりなき耳かき」

これ、とてもいい響きじゃないですか?なんとなく。

 

▼占部さんが執筆する連載『死を想う その人らしい最期とは』
https://eijionline.com/m/md49038390c4f

ウルトラマラソン挑戦記〈5〉:宮古島100kmワイドーマラソン

あれから1年経って

去年、「第27回宮古島100kmワイドーマラソン」を走ってから、早くも1年。

この日に向けた記録をせっかくシリーズで書いてきたのに、
肝心の本番の記録を書き損ねていた。

ウルトラマラソン挑戦記〈1〉:申し込み完了。
ウルトラマラソン挑戦記〈2〉:星に手を伸ばせば
ウルトラマラソン挑戦記〈3〉:新しい相棒
ウルトラマラソン挑戦記〈4〉:南伊豆町みちくさウルトラマラソン・75kmに挑む。

明日2018年1月21日(日)は、第28回大会の開催日。
懐かしい記憶が自然と蘇ってきたので、
1年越しに、書ける範囲で書いておこうと思う。

 

 

当日まで

なぜ走ろうと思ったか

何度も聞かれてきた問い。

思い立ったのは一昨年の7月頃。
個人的に色々と思うところがある月で、

「半年後くらいの目標が何か欲しい」

と感じていたところに、思い立ったのが100kmマラソンだった。(唐突な…)
実は、かつて大学の時にノリでこの大会に申し込んだものの、
論文に追われて結局参加すらできずに終わったことがあった。
その時のリベンジの気持ちもあったのかもしれない。

 

練習について

スケジュール

2016年7月〜2017年1月までの半年間。
だいたいのスケジュールはこんな感じ。

・7月:身体をランニングに慣らす(10km前後)
・8月:ハーフマラソン(20km)
・9月:フルマラソン(42.195km)
・10月:体力維持(20km前後) ※本当は50km超えを数回やりたかったが叶わず
・11月:初ウルトラマラソン(75km)
・12月:体力維持&回復(20〜40km)
・1月:調整(10km前後)&本番(100km)

「毎日練習したの?」と聞かれることが多いけど、
実のところは週に1〜2回程度。

◆7月 4回、45km
・6km
・12km
・12km
・15km

◆8月 5回、88.5km
・21km
・10km
・20km
・6km
・31.5km

◆9月 6回、100.5km
・5km
・12km
・5km
・30km
・5km
・43.5km

◆10月 5回、73km
・12km
・24m
・6km
・10km
・21km

◆11月 1回、78.5km
・78.5km

◆12月 4回、78km
・6km
・12km
・20km
・40km

◆1月 3回、30km
・12km
・6km
・12km

◆合計 28回、493.5km

100kmマラソンに向けた身体作りの最低ラインは「150km/月間」と言われてきた。
実質のその半分しか走れておらず、準備不足だった感は否めない。

 

工夫したこと

足りない練習量を補うために工夫したことは、

・毎日走らない代わりに、20〜30kmオーバーの長距離を月に1〜2回は入れる
→思いっきり負荷をかける日と、十分に休める日とのメリハリを意識
・一回いっかいのランで、身体の隅々の感覚に気を配ってフォームやペースを常に修正
・水分や食料の補給のタイミングと量を繰り返し実験

など。
一回いっかいの練習にものすごく集中して、
意識的にトライアル&エラーを行ってきたことが効いたと思う。

回復しなくなるほどの疲労の兆候は何か。
ペースの変えどきはいつか。
腕の振り方や足の角度はどれが一番負担にならないか。

「走っている時は何を考えているの?」もよく聞かれることだけど、
練習の時はひたすら自分の身体の細部に意識を張り巡らせて、
チェックと修正を繰り返していた。

 

筋トレ

筋トレは、

・走るのに適した身体は、走ることで作られていくはず。
・筋肉をつけすぎて身体を重くしないほうがいい。

という予想の元、あまり意識してやらなかった。
自重でのスタビライゼーションで体幹のバランスを整えた程度。
それ以上に、怪我防止のためのストレッチをかなり入念にやっていた。

 

 

前日

戦略を練る

前日早朝の飛行機に乗り、レースの舞台となる宮古島へ。
搭乗券の名前が間違っていた時点で、嫌な予感…

IMG-6846

機中では、ひたすらペース配分の計算を繰り返す。

というのも、この2ヶ月前に走った南伊豆での75kmマラソンでは、
ゴールまで「13時間4分21秒」かかってしまっていた。
今回は、「14時間以内」で+25kmの100km。
しかも「11時間15分以内」に80km地点を通過しなければならないという足切り関門も。
前回から2時間以上縮める必要があり、普通に走っていたら絶対に間に合わない。

練習の中で掴んだ、自分にとって一番負担なく気持ちよく走れるペースが「6分43秒/km」。
一方で、14時間以内に100kmを走りきるためには、平均「8分24秒/km」のスピードが必要。
これはもちろん休憩や食事も含めての数字なので、
実際に走るペースはもっと早くする必要あり。

自身の目安のペースとの差分が時間の貯金になるとすると、

1kmにつき1分41秒の貯金。
5kmにつき8分25秒の貯金。
10kmにつき16分50秒の貯金。

水分補給、食料補給、トイレ、休憩…etcは、
この貯金を切り崩しながらやらなければならない。
加えて考えなければいけないのは、

・高低差がきつい区間でのペースの低下
・風に煽られる区間でのペースの低下(島でのレースの特徴)
・天候不良によるペースの低下
・疲労や怪我によるペースの低下

など。(ちなみにすべて実際に起きた)
そうなると上記の貯金の目安も楽観的と言わざるを得ない。

こちらのブログで、区間ごとの高低差を試算したグラフを作ってくださっていて、
これがとても役に立った。

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前回の南伊豆マラソンと比べて、勝算があるとすれば二つ。

・前回と比べて、高低差は1/5程度。
・前回と比べて、エイドステーションで美味しいものが出ない

二つ目は冗談抜きに大事。

「猪汁&猪焼肉」
「イチジクのワイン煮」
「かぼちゃのポタージュ」
「ムロアジの干物」
「地元の漬物盛り合わせ」
「サザエのおにぎり」
…etc

豪華お食事が5kmごとに出てきた前回は、
食べている時間だけでも合計すると2時間近く使っていた。
もはやグルメレース。

今回は、携行するエナジーゼリーを目安10kmおきに摂ることを補給のメインにして、
エイドステーションにとどまる時間を極力減らす、という戦略。

などなど踏まえた上で、コースマップとにらめっこしながら試算、試算、試算…

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以上諸々考慮した上で、5kmごとのペースを試算したメモがこんな感じ。
字が汚いのは、飛行機の揺れの中だったからだと信じたい。

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ペースの変動も見込んで、制限時間より20分早い「13時間40分」でのゴールを想定。
今振り返ると、この試算結果はなかなか面白い。

 

初上陸

三線を持っているくせに一度も訪れたことがなかった沖縄。
空港でシーサーのお出迎え。

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空港の建物は、なんとなくカンボジアのシェムリアップ空港を思わせる。

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二日間お世話になる宿は、その名もズバリ「ゲストハウス宮古島」。

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ドミトリーの2段ベッドを2名で予約。
一人あたり一泊1,800円。
破格。
飼われているわんちゃんも人懐っこくてかわいい。

一方、リビングルームには危険な誘惑が…

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ビールサーバー…
走り終えるまでは我慢。

 

荷物を置き、一緒に走る筑井さんと島の散策へ。
まずは腹ごしらえ。

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レース前は「カーボローディング」と言って、意識して炭水化物を一気に体内に溜め込む。
なので、東京での朝食も麺。

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ちなみにこの日の晩飯も…

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ただ食べたいだけじゃないか…
さすがに胃もたれし、やや後悔。

我が家の正月は昼から一升瓶が空くため、正月太りもちょっと懸念点。
普段の体重よりも+1〜2kgの状態。

長い時間エネルギーを消費し続けるレースなので、
蓄えとしてはちょうど良いか、身体の重さが仇となるか。

 

受付

前日受付会場には、不吉な文字が。

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収容…
制限時間が設けられた関門は4つ。

・46.5km地点 8時間以内
・80km地点 11時間15分以内
・90km地点 13時間以内
・100km地点(ゴール) 14時間以内

遅れれば収容…
中でも、80kmの関門がかなりしんどい。

この車に乗らなくて済むことを祈りつつ、受付へ。

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明日の早朝5:00、ここでスタートを切る。
そして夜の19:00、ここでゴールを切る。

イメージを膨らませる。

少しコースを視察してから、宿に戻る。

 

決戦前夜

気合いを入れるために、かなりまずいドロドロの栄養ドリンクを飲み干し、
筑井さんとプチ決起会。

今回は、カンボジアをはじめとした途上国で移動映画館を行い、
子どもたちに映画で夢の種まきをしているNPO法人World Theater Projectを応援。
1km走るごとに100円を寄付し、100人の子どもたちに映画を届けることを目標に。

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本番

スタート前

AM3:00前起床。
荷物を準備してタクシーに乗り込み、スタート地点の会場へ。

朝はやや肌寒かったものの、この日の気温は15度前後の予想。
地元の人にとってはかなり寒かったようだけど、
東京から移動してきた身としてはちょうどよく、走るには最高の気温。

天候は雨の予報も出ていて、やや不安。
景色が楽しめないのも残念。

ウォーミングアップを済ませ、スタート地点に。
筑井さんと一緒にパシャり。

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最初の我慢:スタート〜来間大橋(0〜5km)

1.スタート〜5km

真っ暗闇の中、ランナーたちのヘッドライトの灯りが揺れる。
遠くから見たら人魂の行列みたいに見えるかもしれない。

序盤は、身体がほぐれてくるまで意識してペースを抑える。
7分/kmを超えても気にしない。

最初の左折で来間大橋へ向かうが、渡りもせずに折り返すという謎のコース取り。
距離の調整上仕方ないのか。
真っ暗なので橋の景色も全くわからず。

大通り沿いに右折し、5km地点くらいの場所が、
ちょうど泊まっている宿のあたりだった。
無事に戻ってきてベッドでゆっくり眠るイメージがわいてくる。

 

難所に向けて:〜伊良部大橋前(〜14km)

2.〜伊良部大橋

390号線沿いにひたすら北上。
空はまだ真っ暗で、左手に黒い海。
緩やかな起伏が始まる。

体があたたまり、ほぐれ始める。
7分/kmオーバーで我慢していたペースは、
想定していた6分40秒/kmに落ち着き始める。

10kmを越えたあたりで市街に入っていく。
大きく左折して、最初の難関、伊良部大橋の方向へ。

 

序盤の難関:伊良部大橋往復(〜25km)

3.伊良部大橋

全長3,540メートル。
通行料金を徴収しない橋としては、日本最長だそう。

現地通の方からも、ここはかなりの難所だろうと聞かされていた。
長さに加えて、起伏が激しく、海からの風をまともに受ける。

想像通り、橋の上に出た途端、強い横風に煽られた。
遠目に、急斜面が見える。
(この写真は、レースの時とは別で撮ったもの)

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ペースを抑えて、足の負担を最小限にするために慎重に上る。
地面を蹴り上げずに、骨盤で脚を引っ張り上げるイメージ。
周囲の早い人たちのペースに惑わされない。

一つ目の大きな山を越えると、その先にもう一つ山。

橋を渡りきり、伊良部島に辿り着くとすぐに折り返し。
この頃になると、空が白み始めた。
残念ながら天気はあまり良くなく、景色は楽しめなかったけど、
日差しが強くないのはマラソンにとっては好条件。

せっかく越えてきた坂を、今度は反対側からもう一度越えていく。

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こちらも後日撮った写真だけど、普段は本当に美しい橋。

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IMG-6973

ちなみに、このマラソンから8ヶ月後の去年9月、
橋の上でプロポーズを成功させた男性が、喜びのあまりか柵を越え、
誤って転落死するという悲しい事件があった。

オッケーしたばかりで、橋の上に残された女性の気持ちを考えるとなんとも…

 

一つの勝負:平良北上(〜32km)

4.北上

難関・伊良部大橋を終えて25km。
全体の1/4を走り終える。
もう少し疲れているかと予想していたけど、
身体のコンディションは最高潮。

マラソンでは、こういう時ほどいかに「ペースを抑えるか」が大切。
が、実はこの日は、自分の中で別のプランがあった。

100kmの長距離となれば、たとえゆっくり走っていても、
終盤には身体がまともに動かないほど疲労しているはず。
試算しているペースでもギリギリであることがわかっていたので、
伊良部大橋の難関を越えた時点でのコンディション次第で、
ペースをやや上げようと考えていた。

目安は、6分10〜20秒/km。
想定ペースよりは30秒近く早いけど、
息切れはせずに身体への負担も少なく走れるスピード。
慎重に疲労度を見ながらの調整ではあるけれど、
ここで少しでも稼いで終盤はその貯金で逃げ切る。

吉と出るか凶と出るかは怖いところだったけど、
直感的には勝負をしないと走りきれないと感じていた。

身体は飛べるように軽く、この区間は危なげなく走り終えた。

トップとの差:〜池間島〜レストステーション(〜46.5km)

5.池間島、レストポイント

最北端の池間島まで北上して、折り返してくる区間。
信じられないことに、この区間の序盤で、トップランナーとすれ違った。
折り返しの池間島が9km先だから、この時点で往復で18kmの差がついている。

笑うしかない。

ちなみにこの人は、7時間26分46秒でゴールした。

笑うしかない。

市街地を抜け、半島の先に近づくと、左手に池間大橋と池間島が浮かんでくる。
ここはかなり絶景ポイント。
もっとも身体が軽いゴールデンタイムは過ぎ、
徐々に疲労が積みかさなり始める頃だったけど、
景色のおかげでずっと顔は上を向いていた。
記念写真を撮るランナーも多かった。

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池間島で折り返し、少し来た道を戻ると、
46.5km地点で大きなレストステーションに。
タイムは5時間ちょっとで、かなり良いペース。

ここにはあらかじめ荷物を送ってあり、
ゼリーを詰め直したり靴下を履き替えたりすることができた。

南伊豆のウルトラマラソンでの大きな教訓は、後半足が浮腫むということ。
想像している以上に足が腫れ、終盤は靴がきつくなり、小指の感覚がなくなってしまった。
爪も痛く、豆も潰れ、かなり走りづらくなった。

なので今回は、少し時間をかけてマッサージし、
靴紐も緩めて余裕を持たせた。

 

嵐の前の…:東側、比嘉ロードパーク(〜65km)

6.比嘉ロードパーク

後半戦は東海岸を南下。
西側とは違い、徐々に高度が上がり、海沿いは切り立った崖になっていく。

高低差表を見ても、65km地点の「比嘉ロードパーク」は今回のコースの最高地点。

up-miyako1

上りが多くなり、疲労の蓄積も増えてくる。
ペースは次第に7分/kmを切れなくなってくる。

とはいえ前半の貯金があり、精神的にはかなりの余裕があった。
60km地点も無事通過。

IMG-6902

「思っていたよりも余裕でゴールできてしまうんじゃないか?」

などと楽観的になっていた。
今振り返るとぶん殴ってやりたくなる。

実はここまで、あるタブーを冒していた。

「素人ランナーのうちは、上り坂は歩いた方がいい」

というアドバイスを、トライアスロン経験者から聞かされていた。
走っていてもどうせペースが落ちるのだから、
少しでも負担を減らすために歩いてしまった方がいい。
実際に南伊豆の時は、その忠告通り上り坂は早歩きにしていた。

なのに今回は、ペースは落としながらも上りはすべて走っていた。
見えないところで、じわじわと身体は蝕まれていった。

 

アクシデント:東平安名崎前(〜75km)

7.75km地点

転機は突然だった。

65km地点あたりのレストステーションで、
リュックからポシェットにゼリーの入れ替えをするために数分立ち止まった。
下ろしていたリュックを手に取ろうとかがんだ瞬間、
右膝の外側に激痛が走り、まったく曲げられなくなってしまった。

元々膝が悪く、お皿(膝蓋骨)は生まれつき分裂膝蓋骨という症状で割れている。
その下の脛骨は、サッカー部時代にオスグッドが悪化して、剥離骨折の状態。

今回の怪我は、まさにこの二箇所を結んでいる膝蓋靱帯の損傷。
後日検査した結果では、微細断裂を起こしていたそう。

大丈夫だと思って上りを強引に走ってしまった無理が、ここで祟ったか。

しばらくは右足を引きずりながら歩いて様子見。
動き始めて集中を戻し、アドレナリンに頼るしかない。

後半の東側のコースに入ってからは、30分に一回くらい強い雨が降り、
降ってはやみ、やんではまた降っての繰り返しだった。
そのたびにポンチョを着たり脱いだりで、そのストレスも溜まってくる。

ごまかしごまかし少しずつスピードを上げていき、
なんとか走る格好には戻れた。
が、もはやペースは上げることができず、スピードは8〜9分/kmまで落ち込んだ。

左手に雑木林、その先にかすかな海の気配。

こうしてペースを落としたままで間に合うのか。
再び痛みがやってきて、もう動けなくなってしまうのではないか。

もう周囲のランナーたちも喋る余裕がない。
変わり映えのしない、静かで気怠い長い道が、不安を助長する。

 

成長:東平安名崎(〜80km)

8.東平安名崎

75km地点。
過去最高の距離と並ぶ。

IMG-6903

前回は「13時間4分21秒」。
今回は10時間を切っていた。

3時間以上の短縮。
大丈夫、自分は、確かに前進できている。

足を痛めてから、久しぶりに喜びがわいてくる。

とはいえ、ここから先、一度でも足を止めたらもう動けなくなるのはわかっていた。
ストレッチはもうできない。
だけど、足がつってしまってもダメ。
伸ばすために立ち止まったら、また膝が動かなくなる。

レストステーションでの補給の際も、右往左往歩き回りながら。
残りはノンストップでゴールまで進むしかない。

そんな状況の中で、東平安名崎へ。
岬なので、風が激しい。
身体に力が入らないので、左右に揺すられてまっすぐ走れない。

ここを耐えて折り返せれば、このレースで一番の懸念だった80kmの関門を突破できる。
心の余裕はかなりできるはず。

それだけを希望に、ふらつく体を一歩一歩なんとか前に進める。

スタートから10時間44分。

IMG-6904

一番不安だった関門を突破。
足切り時間の30分前。

これからさらにペースが落ちていくだろうことを考えると、
決して安心できるタイムではない。

だけど、さすがにガッツポーズが出た。

あとはもう気力の勝負。

 

最後の関門:インギャーマリンガーデン(〜90km)

9.90km

ここからは島の南側をひたすら西へ。
この直線の延長上にゴールがある。
レースのクライマックス。

体力はもう底をついていて、気力のみ。

そんな中に、まだ試練が続く。
実はこの最後の直線で、またアップダウンが始まる。

up-miyako1 (1)

上り坂では足はもうほぼ上がらない。
腕を思いっきり振って身体を引っ張り上げるしかない。
その腕すら、顔も、上がらなくなってくる。

恥ずかしい話だけど、嗚咽とともに半べそをかいていた。
「なんなんだよもう」とか「もう許してくれ」とか、危ない独り言も増える。

いったい誰に許可を求めているのか。

自分で勝手に始めただけ。
続けるもやめるも、誰に許可を取る必要もない。
すべて自分次第。

だけど、そんな正論に大した意味はない。

泣き言をこぼしては正論に戻り、
正論に辿り着いては楽になるわけでもなくまた泣き言をこぼす。

それを繰り返しながら、「また1km削れた…」を積み重ねていくだけ。

前方にまた小高い丘が見える。
それが丘であることを認識しないようにする。
「丘=上らなくてはいけない」という認識に辿り着かないように。
ただの一つの景色。ただの道。ただ進むだけ。
認知能力を意図的に麻痺させていく。

日はだんだんと暮れていく。

極限状態において、人が進む方法は、自分を騙し続けること。
あの電柱まで行ったら、もうやめよう。
その電柱に辿り着いては、
あの看板まで行ったら、今度こそ本当にもうやめよう。
あ、また1km削れた。
じゃあ今度は、あの民家まで…

後ろ向きな考えでも、情けなくても、
足を動かしていれば、人はちゃんと進んでいる。

スタートから12時間14分25秒。

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90km。
最後の関門。

残るは、ゴールだけ。

ラストスパート:〜下地公園(〜100km)

残り距離10km。残り時間1時間45分。
普通に考えれば十分なゆとり。

だけど残念ながら、普通の状態ではない。

走っているのか歩いているのか分からないようなスピードしか出ない。
顔は前を向くことすら辛く、全身をダランと垂らしながら、
ベタベタと身体を引きずるように進むしかできない。

そんな状況なのに、なぜか計算だけはグルグルと高速で回った。

10分30秒/kmを切れば間に合わない。
実際のところ、すでにペースは9分/km台まで落ちてしまっている。
水や食料の補給の時間を考えれば、ゴールできるのかどうかが本当に分からない。

どこで手を抜いた1秒で後悔するか分からない。

そう思うと無性に焦る。
焦るけど、ペースを上げることは不可能。

1km進むごとに計算して焦りが増していく。

景色はほとんど覚えていないけど、
広い歩道がある道路の上を走っている記憶はある。
向こうの方で、スタッフがこちらにカメラを向けて待っているのが見える。
カメラの前だけなんとか顔を上げて応え、
通り過ぎてからまた下を向き、身体をダランとさせる。
走るというより、前につんのめって身体を放り出し、
倒れないようになんとか逆の足で着地する。
その繰り返しだった。

もう泣き言を言う元気もない。
まぶたまで重くなってきて、寝ながら走ろうかとまで思った。

気づくと、あたりはもう暗くなっている。
気づくと、残りの距離が3kmを切っている。

ゴールが現実のものとして考えられるようになってきた。

ここまで来て踏ん張れなかったら、一生後悔する。
ここで走れなかったら、一生後悔する。

前回の75kmマラソンの時もそうだったけど、
急に力がわいてきて、信じられないくらいペースが上がっていく。
足の怪我も全然痛くない。身体もどんどん軽くなっていく。
感覚的に5分/km台までスピードが上がる。
身体の余計な力が抜け、練習でも感じたことがないくらい、
一番リラックスしたフォームで身体が流れていく。

限界だと思った時、それでも身体はエネルギーをちゃんとセーブしている。
ここだけ頑張れれば終わるんだと思えれば、
ここまでの力を出すことができる。

でもそれは、途中手を抜いてサボっていたわけではなく、
極限だと思っていたところを耐え抜いて、
ようやく届く場所でしか手にできない力だと思う。

前方を走っている人が、急に右折する。
そこは、ゴールである下地公園への入り口だった。

息が切れるほどのスピードで曲がり、正面に見えるゴールへのアーチを目がとらえる。
ゴールした人の名前が放送される声が響く。

ようやく終わる。

あれだけ上らなかった足は、地面を力強く蹴り上げる。
苦労の時間が、走馬灯のように流れるんじゃないかと思っていたけど、
そんなことは起きない。

1秒でも早くあのアーチをくぐりたい。

ただそれだけだった。

 

ゴール

13時間44分40秒。
制限時間の約15分前。

「World Theater Projectを応援してください!」
というゴール時にお願いしておいた宣伝文句が放送される中、
ゴールテープを切った。
(テープがあったか正直覚えていないのだけど)

レース前の試算が13時間40分だったので、
ペースを早めた部分と怪我で走れなくなった部分を合わせて、
ほぼとんとんだった。

すぐさまボランティアの中学生が駆け寄ってきて、
「計測用のチップを外して渡してください」
と迫ってくる。
急に止まることができるわけもなく、
「ちょっと待っててね」
と声をかけて右往左往する後ろを、
その中学生はずっとついてきていたのがすごく記憶に残っている。

荷物を預けていた館内に入り、10時間ぶりくらいに腰を下ろす。
やはりだいぶ浮腫んでしまった足からシューズを脱がせる。

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この3ヶ月前に突然亡くなった上司に訳あって選んでもらった(選ばされた)ミズノのシューズ。
この靴を必ずゴールラインまで連れて行きたい、という願いは、なんとか叶った。
ゴールした瞬間よりも、脱いだこの靴を眺めたときの方がやり切った実感がわいた。

体育館に移動して、後夜祭。
底なしの食欲が爆発。
そして我慢していた酒!
オリオンビールオリオンビールオリオンビール!!!

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疲れで一気に酔いが回るかと思いきや、何杯でも飲めた。
追加を取りに行くのに立ち上がるために、毎回3分くらいかかる。
まともに身体が動かない。
気持ちだけは元気だった。

タクシーを呼んで宿に帰り、シャワーを浴びる。
リビングで50kmの部を走り終えた学生のグループが酒を飲んでいた。

「一緒に飲みましょう!」

と声をかけてもらうも、この頃には話す元気はなく、一杯だけ飲んでベッドへ。

「もう二度とやるか」

と思いながら、眠りについた。

 

走り終えて

挑戦を終えて、何を得たのか。

絶対的な自分への自信。
かつて感じたことのない達成感。
苦しみから圧倒的な解放感。

正直に言うと、そんなものは一つも手にしていない。
「こんなに辛いことは人生でもうないのだから、これからは何があっても大丈夫」
なんていう想いもない。
100kmマラソンより辛いこともある。

翌日くらいには割とあっさりしていて、
「もう二度とやるか」は「次はどこを走ろうか」になっていた。

でもそれは、「走っても大した意味はなかった」という意味ではまったくない。

実は、やってよかったと思う瞬間はゴールにはなく、
半年間の過程に、関門を突破していく道のりにあった。

半年前の7月に走り始めたときは、6km走るだけでクタクタになり、
その翌日には身体はバキボキになっていた。

それが徐々にハーフマラソンを走れるまでに戻っていき、
初のフルマラソン完走に辿り着き、
ウルトラマラソンの領域に足を踏み入れることができ、
そして100kmに至ることができた。

そうやって、「自分は確かに進んでいくことができている」と感じられること、
それが一番得たかった実感だったと気づいた。

だから、100km走れた過去は、もうどうでもいいのかもしれない。

これから新たにどんな挑戦をするのか。
どうやって「より前に進めている」と実感できる日々を過ごせるのか。

大切なことは、現在進行形で挑戦し続けること。

それはもう、マラソンという形でなくてもいい。
(まだまだ走りたいのだけど)

何かを成し遂げた過去よりも、未来の何かを目指している現在を持つこと。

この挑戦から教わったのは、そういうことだと思う。

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あれから1年。
今年は、何を目指そうか。

ウルトラマラソン挑戦記〈4〉:南伊豆町みちくさウルトラマラソン・75kmに挑む。

前日

11月11日(金)。
前日受付のために、有給をとってスーパービュー踊り子に乗り込む。
ポッキーもプリッツも食べず、炭水化物をとにかく多く摂取するために、
幕の内弁当と特大おにぎりを頬張りながら。

この週はずっと風邪に苦しめられ、棄権することも考えていた。
でもいつだったか、

「できないことに紛れ込ませて、できることまで諦めてはいけない」

と自分で言っていたのを思い出した。

たとえゴールできなくても、5km地点まで走れたら、何もしないよりはいい。
たとえ出場できなくても、現場まで足を運べたら、何もしないよりはいい。

「まずは行ってしまえ」

と、咳き込みながら電車に揺られ、終点の下田駅に向かった。

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そっぽを向いた駅長に「ウェルカメ」された。
あまり歓迎されている気はしない。

そういえば、下田といえば「開国の地」だった。

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司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を持って来ればよかったと後悔。
リュックに詰めていたのは吉川英治の『新・平家物語』だった。

受付は夕方までやっているし、急ぐこともないので、バスを一本遅らせて海の方へ向かってみる。

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ペリーかな。

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遊覧船「サスケハナ号」と、開国の海。
当時の人たちが、突然の変化をどんな想いで受け入れていたのか、少し想像してみる。

あのおっかないペリーの顔が、その気持ちを表しているようにも思える。

 

バス停に戻り、宿の最寄りである「日野」へ向かう。
「ひの」ではなく、「ひんの」と読むらしい。

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町はマラソンモードに。

直前に観光協会に問い合わせて紹介してもらった宿が、「サンフレッシュ小島」。
どこかのサッカーチームみたいな名前に親近感を感じた。
マラソンのスタート地点からも近いということで、迷うことなくここにした。

着いてみると、一階が布団のクリーニング店になっていて、太陽光をたっぷり吸った布団のとてもいい匂いがした。
出迎えてくれたお母さんもとても親切で、近隣の情報を色々教えてくれた。
レンタサイクルも無料。屋上の露天風呂は24時間開放。

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部屋もええやん。
ベランダへの窓を開けると…

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スタート&ゴール地点、目の前やん。
ゴールしたらそっこー風呂に入れるやん。

最高か。

でも、「近いからあと5分寝れる」理論でスタートに遅刻する光景が目に見える。
危険だ。

 

レンタサイクルを借り、10分ほどこいだところにある湯の花観光交流館で前日受付を済ませる。

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頭の中に「ここでは伊勢海老が食べられる」という情報がインプットされる。

買い出しついでに、日が落ちるまでチャリで近隣を回ることに。

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温泉町。
あちこちに湯気。

海まで行きたくなってしまい、川沿いを下っていく。
日も落ち始め、夕空と水面がとても綺麗だった。

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15分ほどこぐと、地鳴りのような音が聞こえてきた。

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海だ〜〜〜〜〜

途方もない気持ちになるね、海を見て、海を聴いていると。
体をほぐしながら、30分くらい眺めていた。

暗くなり、少し寒くなり始めたので帰り支度をして振り返ると、レストランに、

「伊勢海老ラーメン」

の文字が。
ナンテコッタ。

でももう、パスタやら何やら色々買い込んでしまっていたので、仕方ない。
仕方ないから、両方食べよう。

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「カーボローディング」という使い勝手がいい口実のもとに、ペロリ。

食べ終わると、まだ17:00台なのに、もうだいぶ暗くなっていた。
夜道の自転車は、5年前のチャリ旅の時も心細く、苦手だった。

宿に帰り、屋上の風呂へ。

名温泉を探して入りたいが、長居してしまって前日に筋肉を緩めすぎるのも良くない。
今日は宿備え付けの風呂で我慢我慢。

などと思っていた自分が馬鹿だった。

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虫さんは苦手だけど、「きれいなお嬢さん」ではないので大丈夫。

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くるっ…

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これ、一択ですか…?

なかなかユーモアが効いている。
屋上への扉を開けると、露天風呂出現。

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凄まじい予感と共に扉を開ける。

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月明かりの下で、貸切露天。
最高か。
間違いなく、これまで見てきた中で最高の名湯。

「今日はここで、我慢我慢」

とか、ごめんなさい。

 

最高のリフレッシュを終え、部屋に戻ってまた炭水化物を食べる食べる。
19:30から、マラソンの前に勝たなければならない戦いが始まる。

サッカー、キリンチャレンジカップ。
日本vsオマーン。

このために「テレビ付き」を絶対条件にしていたのに、
残してしまっていた仕事と明日の準備に追われ、ほとんど見れず。
とりあえず大迫「ゆうや」が2得点の活躍をしたので、縁起はいい。

翌日は5:00スタート。
3:00には起きて、朝食や準備をする必要がある。
なので、21:30には寝ようと思っていたけど、眠気がやってこず、
本を読んでいるうちに就寝は23:00頃になってしまった。

風邪っ気が戻ってきて、鼻水が止まらず、喉も痛い。
起きてよっぽどひどかったら、やはり走るのは難しいか…

 

 

当日

スタート前

3:00前に起床。
幸いにも、風邪っ気も喉の痛みもだいぶ引いていた。
これならいける。

前日かなりの量を食べていたので、やや胃もたれ。
朝食は、バナナ豆乳とパウンドケーキ2つに抑える。

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4:00を過ぎると、外が騒がしくなり始める。

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着替えを済ませ、走るときに身につけるものを精査する。
直前にランニング用のポシェットを買っていたが、意外と入らないことに気がつく。
試行錯誤の末、予定より大幅に荷物を減らす。

・iPhone
・小型充電器とコード
・目薬
・点鼻薬
・ヘッドライト
・アミノ酸サプリ

1日通して10℃を切らない予報だったので、ウィンドブレーカーも置いていくことに。

4:30過ぎに会場に移動し、ウォーミングアップ。
2週間全く走れなかった不安はあったが、そのおかげで休息できたのか、身体は軽い。

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(75kmですけど…)

いよいよスタート。

 

第1区間(〜6.7km):星空の下

まずはこの区間を走る(水色)。

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スタート地点を離れていくと、すぐに真っ暗に。
ヘッドライトがないといけない意味がわかった。

よそ見危険だけど、星空が素晴らしく走るどころではない。
もうこの時点で、この大会にこれて良かったと心から思った。

歩道は狭く、序盤で混み合っているので、ゆったりと走る。
身体を温めるにはちょうどいい。

数km進むと、海へ向かう長い下り坂に差し掛かる。
空が白み始めている。

ヘッドライトを消して、ポケットにしまう。

夜明けが近づくと同時に、海が見えた。

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テンション上がる。
ほどなく、最初のエイドステーション「大浜・駐車場」に到着。
6.7km地点。

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ちなみに、75kmの部では15か所のエイドステーションがあり、それぞれで補給できるものが違う。
レース後に体重が増えている人もいるという、伝説のグルメレース。

スタート直後の地点なので、人が固まっていてだいぶ混んでいた。
結構時間を食う。

記念すべき一つ目のエイドステーションのラインナップはこちら。

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いきなり味噌田楽!

が、まだお腹は空いていなかったので、腹痛を恐れて、

・レモンの砂糖漬け
・一口チョコレート

のみに。

ランニングアプリを確認しようとiPhoneを見ると、なんと画面が反応せず動かないというトラブル。
一度電源を落としてなんとか直ったけど、ポケットの中の湿気に気をつけなければと反省。

軽くストレッチを入れて、出発。

 

第2区間(〜15.4km):ウルトラの戦い方

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エイドを出ると、すぐに上り坂が。
都会のランニングで見るような坂ではなく、海岸線特有の峠型。
チャリ旅の時も、この上り下りに苦しめられたのを思い出す…

トライアスロン経験者に、

「上り坂は歩け」

と事前に言われていた。
周囲の人たちも皆、ある程度の傾斜になると歩いていた。

なるほど、これが長距離の戦い方なのか。

トンネルも現れ、いつものランとは全く違うことを強く意識。

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朝がやってきて、雲間から幻想的な光の柱が。

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こんな景色が続くのなら、いくらでも走っていたい。

と思いつつ、懸念が発生。

右足のアキレス腱が痛み始めた。
高校の時にアキレス腱炎をやったことがあり、かかとからふくらはぎまで、
くびれがなくなり同じ太さになってしまうくらい腫れ上がった。
動かすとギシギシと握雪音(あくせつおん)が鳴り、無理したら切れそうな痛みが続いた。

まだそこまで悪化していないけど、序盤でこれはまずい。
できるだけ負担をかけないように走るが、その分別の場所に負担がかかって不調につながらないかが心配。

10kmを過ぎたあたりで、海岸線からやや内陸に入っていく場所に差し掛かる。
係りの人に配られた注意書きには、

「この先タライ岬は、国立公園につき走行禁止」

の文字。

マラソンなのに走っちゃダメなの…?
行ってみてわかったのは、「走ってはダメ」以前に、「走れない」。

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30分ほど、普通のハイキングに。
道はぐちゃぐちゃにぬかるんでいるところもあり、大渋滞。

時間のロスが…

ペース決めるのに、こういうことも配慮しなければならないんだな。

ゆっくりだったので周りを見る余裕ができて気づいたのが、
なかなかお年を召した方々が多いということ。
60代くらいの、その辺にいそうなおばちゃん達も。
すごい。

難儀なコースだったけど、景色はやはり綺麗だった。

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岬を抜けると、前日にチャリで見に来た弓ヶ浜に到着。
案内には載っていなかったけど、ここにも一つエイドステーションがあった気がする。
チョコレートと飴を食べて、ストレッチを入れる。

10月にフルマラソンをやった時に後悔したのが、ストレッチの箇所が少なかったこと。
ももやふくらはぎは何度も伸ばしていたけど、大臀筋を放っておいたので後半かなり辛かった。

一度固まってしまってからでは遅いので、時間をかけてでも伸ばす。

川沿いに内陸に入り、橋を渡ってUターンして再び海岸線に近づいたところで、エイドステーション「手石・伊豆漁協」に到着。

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アジの干物がうますぎる…
梅干しで塩分も補給。

日もしっかりと出てきて、汗の量が増えてくる。
水分補給の量も少しずつ増やしていく。

 

第3区間(〜19.2km):挑戦の中でこそ実験を

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実は、あまり風景など記憶に残っていない区間。

ただ、アキレス腱の痛みが気にならなくなってきたところだったと思う。
そして、走り方を思い切って変えた。

これも「登りは歩け」のアドバイスをくれた人(社長ですが)からの言葉で、

「膝を絞れ」

どうも「がに股」らしく、いつも10数キロで左膝が痛くなり始めるのは、
持病もあるけど、角度がいけないのではと思い始めた。
同じように痛み始めたら、今回の距離はとても走りきれない。

そこで、膝がまっすぐに曲がり、まっすぐに伸びて抜けるように、少し内側に絞って走るようにした。
そして、足で走るのではなく、骨盤を回転させる力を推進力にして、
足はそれにくっつけていくだけにして負担を減らした。

振り返ると、今回のレースの大きな勝因はこの走り方のチェンジにあったと思う。
これまでなかったほどに足が長持ちした。
この発見は本当に大きい。

とても敵わないであろう未知の相手と戦っていると、一つ上の自分を見つけられる。

礼を言う
おれはまだまだ強くなれる

ゾロやな。

リズムを作れ始めたところで、エイドステーション「大瀬・アロエセンター」に到着。

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少しお腹が減り始めてることに気づき、ここでは思い切ってうどんに手を伸ばす。

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信じられないほどうまい…

見たことないくらいに大きいアロエが入ったヨーグルトもいただく。
ここが最初の足切り関門だと勘違いしてホッとしていたが、よく見たら次のエイドだった。

でも次まで2kmしかなく、時間も余裕があったので気楽に。

 

第4区間(21.2km):ここからが本番

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何事もなく進んでいくと、目の前にトンネル。
その入り口の左手に急な下り坂があり、そこから先行ランナーたちが登ってくる。

どうやら、一度降りて、また登ってこなければいけないらしい。

こういうのが一番きついんだよね…
仕方なく下っていくと、エイドステーションの前に最初の足切り関門が。

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だいぶ余裕はあったけど、「おめでとうございます!」と言われるとやはりホッとする。
真横にあるエイドは、この先の名所「石廊崎」まで行って戻ってきてからじゃないとありつけないよう。

岬といえば、上り坂…
しかもめちゃめちゃ急な。

どう考えても走る場所ではないので、またしてもハイキング。
かなり足にくる。

その先にあったのは、伊豆半島最南端地点。

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これは感動…苦労した甲斐があった。

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のんびり眺めていたいところだけど、そうもいかないので、
横にあった神社で手を合わせてからUターン。

今度はものすごい急な下り坂。
この後嫌という程痛感することになったのが、この下り坂の苦難。
登りで遅れが出た分、下りで取り返せると思ったら大間違い。
傾斜が緩ければスピードも出せるけど、ある程度急になると、膝への負担が大きい。
もともと膝が悪いので、かなり気をつかって下らないとパキッといってしまう。
ので、結局スピードを出せず。

目の前に、綺麗な白髪をした70代と思われる女性が。
ゼッケンには「100km」の文字。
すでに僕よりよっぽど遠回りコースを走ってきたはずなのに、前にいるって…
いつの間に抜かれたのか。
本当に、頭が上がらない。

元来た道を何とか下りきり、エイドステーションに。

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最初に横を通った時から良い匂いをプンプンさせていたカレースープ。
激ウマ。2杯飲む。

21.2kmということは、ここでちょうどハーフマラソン終了くらい。
疲れはまだまだ大丈夫だけど、地図を見るとここからが大変。

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標高がこれまでの2倍くらいに。

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この道のくねくね感。
くねくねと行かないと登れないということだからね。

ここからが本番だと思うことに。

 

第5区間(〜27.2km):月に代わってお仕置き

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覚悟はしていたけど、

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坂、坂、坂…

疲労と距離が比例しない。
まだ時間は余裕あるものの、この先もこんなのが続いたら間に合わないのではと不安になり始める。

この区間で最も辛かったのは、「セーラームーン」の存在。

20km地点ともなると、全体的には人がばらけ始める分、ペースが似ている人が固まり始める。
そして不幸にもペースが重なってしまった一人に、セーラームーンがいた。

コスプレ。おっさん。
超ミニスカートの下に、キタナイモモウラ。
上り坂で辛くなり、なんとか顔あげると、その先にキタナイモモウラ。

ペースを崩したくなかったけど、この人を追い抜いてしまわない限りは、精神的にやられる。
そこで、ある上り坂の終わりが見えてきたあたりで思い切って走り始めた。
セーラームーンを追い越し、下り坂に差し掛かったところで一気に距離を離す。

一安心かと思いきや、今度は後ろが気になり始める。
静かな山道に、追ってくる足音。
振り返ると金髪のセーラームーン(おっさん)が追ってくる。

ホラーか。

おそらく、この区間のペースはかなり早かったのではと思う。
人間、恐怖でも頑張れるのだと学んだ。

恐怖に耐えたご褒美か、階段の下にエイド「奥石廊崎・ジオパーク」を発見。

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今回は建物の中。

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ここでまさかの「メロンパン」が。
食べなければと思ったけど、レース中はちょっときついなと思い断念。
ひらメロンパンさん、ごめんなさい。

ところてんゼリーをいくつか食べて、カルピスを飲む。
ボランティアの女性たちが美人ぞろいだった。
その美女たちが「かわいい!」と揃って叫んだ先、すなわち僕の後ろには、セーラームーンが並んでいた。

嘘はやめなさい。

モモウラはキタナくても、景色は素晴らしい。

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第6区間(〜31.9km):30kmの壁

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いよいよ30km台に突入する区間。

「30kmで一つの壁が来る」

というのはいろんな人に言われてきたこと。
だけど、エイドを出た足は、信じられないほど軽かった。

7月に練習を始めて、ハーフマラソンがやっとだった時は、
体が軽くなるピークは7km地点くらいだった。
距離を伸ばすごとにピーク地点を後ろにずらせていけたが、
この時は30kmまでピークをずらせていた。

やはり、練習の効果が出ているんだなと、嬉しくなる。

道は内陸に入っていき、海とお別れ。
トンネルに入る手前で、「次のエイドは何が出るんだろう」と走りながらMAPを眺める僕に、
「次は何ですか〜?」と語りかけてくるランナーがいた。

猪汁。

「それ、前評判で一番うまいと聞いていたやつです」
とそのランナーは言った。
お互い、テンションは最高潮に。

猪のことだけを考えて、次のエイドへ猪突猛進。

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待ってました!

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まあ、激ウマですね。

二杯食べたかったけど、その後のことを考えて我慢。
代わりに、疲労に効きそうな黒蜜とお酢のところてんを食べる。
これはうまい…

食べ物に大満足するも、ふと足の疲労に気づく。
さっきまで軽かったはずなのに、だいぶだるくなっていた。
やはり、30kmの壁か。
少し長めにストレッチを入れる。

 

第7区間(〜35.6km):run to eat

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序盤は「なんて楽しいんだ!もう15km終わっちゃったの?」なんて思っていたけど、
このあたりから疲労と不安が強まり始める。

「八の字」を描く今回のコースの、最初の円が終わる。

次またこの交差点に来た時は、ゴール間近。
そこまで耐え切れれば、あとは気合でなんとかなるだろうと、気持ちを強く持つようにする。

それでも、周囲に立ちどまってしまったり足を引きずったりする人たちが目立ち始める。
「大丈夫ですか?」と声をかけあう姿もちらほら。
みんな辛くなり始めている。

そんなランナーたちを励ましてくれるのが、やはりエイド。

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天然酵母パンに、机に置いてあった蜂蜜を拝借してかけまくって3きれ食べた。
「あら、蜂蜜かけて食べるなんて、余裕あるわね」
とボランティアのおばちゃんに言われたが、蜂蜜補給しないとまずいくらい余裕ないのが本音。

かぼちゃスープが激ウマ…

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3杯飲んだ。
しかし、こんだけ食って飲んでしながら走っているのに、一回もお腹が痛くならない。
練習の時は補給の量に気をつかっていたけど、体が求めるままに補給するのが一番いいのかもしれない。

 

第8区間(〜37.6km):もう一度言う、「run to eat」

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やはり疲労が色濃くなってきている。
休憩直後しばらくは、足がかなり痛い。
いきなりスピード出さないように注意を払う。

この区間はあまり記憶がない。
多分、この写真はここの区間だったと思うけど。

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エイドのご飯のことばっかり覚えているな…
まあでも、これがウルトラマラソンの楽しみ方かもしれない。

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よく非国民と言われるけど、餅は食べられないので、
味噌大根、温州みかん、玉ねぎの味噌汁をいただく。
どこで何食ってもうまい!

 

第9区間(〜42.2km):苦難の始まり

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早々に、100kmの部の人たちとコースが分かれた。
彼らは遠回りをしなければならないらしい。
ちょっとそっちの道も見てみたい気もしたけど、そんな余裕はなかった。

分かれ道の誘導ボランティアさんから、

「半分です!」

の声が。
37.6km、そうか、ここで半分…

「まだ半分っすか」

と、思わず返事してしまった。

聞きたくなかった〜〜〜
と思うくらいには疲れていた。

急な坂はないものの、緩やかに登り続ける。

困ったことに、ここで風邪が悪化。
呼吸で咳き込んでしまうし、頭痛も少し始まり、体が熱っぽい。
やはり治りきっていなかった…
無理はできないし、少しペースを落として、
もしこれ以上ひどくなったら残念だけどリタイアも考えようと決めた。

この区間はとても長く感じた。
このレースで始めて強い喉の渇きも覚えた。
エイドで補給していけばいいと思っていたので、水分は携行していない。
一番のミスは、お金を一切持っていなかったこと。
ランナーの中には、小さなリュックに水筒を入れていたり、
自動販売機で補給している人もいた。
エイドに甘えすぎたと反省…これは次の時に活かさねば。

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周りのランナーのお喋りもなくなり、しーんとした田舎道で、ただひたすら気だるい時間が続いた。
これならきっついの上り坂でゼーハー言っていた方が、まだ気が紛れるかもしれないと思う。

途中、キャンプの荷物を積んで自転車で登っていく外国人グループと遭遇。
登りは、チャリの方がきついんだよね…頑張って。

耐えて耐えて耐えて、待ちに待ったエイドに到着。

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全種食べる。
鶏飯にぎりは一口大にラップに包まれていて、

「ポケットにいくつか入れていきなさい!」

とボランティアのおばちゃんに声をかけられ、お言葉に甘えて2つお尻のポケットに入れる。
水もコップ7杯くらい飲んだ。

42.2km。
ここでようやくフルマラソン分。
ここから未知の領域というだけでチャレンジなのに、
地図を開くと、これまで見て見ぬ振りをしてきた「あいつ」が目に入る。

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バカイッテンジャナイヨ!!!

これまでと比べ物にならない坂が。
というか、山。
標高500mじゃないっすか。
5km登りっぱなしじゃないっすか。

周りのランナーたちも、テスト期間直前の学生みたいな顔をしていた。

 

第10区間(〜47.4km):期待禁物

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「ここはもう、走ることは諦めなきゃダメよ」

と、エイドのおばちゃんは言っていた。

「森林浴を楽しみなさい」

とも。
そういう場所なんだと、割り切ろう。
ストレッチをしっかり入れ、いざ、山登り。

img_6146

チャリで箱根を越えた時を思い出す。
曲がり角の次に、「今度こそ下りだろう」という淡い期待を託し、
そしてひたすら裏切られ続ける。

山を相手に期待を抱いてはダメだ。

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そうだ、ここは高尾山。
今自分は、レースの最中ではなく、高尾山の山登りを楽しみに来ているんだ。
と、言い聞かせながらひたすら登り続ける。
ごく稀に、走り抜けていく強者が追い抜いていく。
信じられない。上には上がいるんだな。

相変わらず頭痛も熱っぽさも抜けず、静かな山に咳をこだまさせながらただただ足を運び続ける。
無心。何も考えない。
アプリが、平均ペースが時速4kmくらいであることを告げる。

おそらく1時間くらい登り続けていたと思う。
時間の感覚もなくなるくらいただただ坂と向き合い、下を向きながら歩いていると、
上からボランティアさんの声が、

「もう少しで頂上です!」

やっっっとですか…
両腕を挙げ、ガッツポーズ。
恋しかった下り坂。
スピードを上げすぎないように気をつけながら少し下ると、エイドステーションが見えてきた。

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この登りの後なので、種類が豊富で豊富で…
コーラがありがたい!!!
炭酸抜いて欲しかったけど、これは最強の補給飲料。
梅干し、はちみつレモン、カステラ、おにぎりをムシャムシャと食べ、
めちゃくちゃ酸っぱい山桃ジュースを飲んでリフレッシュ。

長めにストレッチを入れた。

 

第11区間(〜48.9km):上ったものは、いつか下る

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ひたすら下る。
かなり急で、膝が痛む。
登りで時間かかった分取り戻したいのに、ここでもスピードを出せない。
とにかく怪我をしないように慎重に下る。
考えるのはそれだけ。

次のエイドまではあっという間。

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チャーシューと漬物を味わいつつ、ここはあまり時間をかけずにまた走り出した。

 

第12区間(〜53.1km):あとはゴールのみ

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まだまだ下り。
一生懸命登った500mをあっさり降りていくのだから、
いったい何をしてるんだろうとも思う。

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ちらちらと海が見え始め、ようやく長かった内陸が終わったと嬉しさがこみ上げる。
一番感動したのがここ。

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左手に登り道が見え、次はそこを行くらしいが、そのまま道沿いに下っていく方に誘導される。
またしても、一度下って、同じ道をまた登ってくるパターン…
でも下にエイドがあるらしいので、仕方ないので一番下まで下りきった。

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最終足切り関門突破。

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あとは時間内にゴールするのみ。
そのためにも、腹ごしらえ。

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漬物をトッピングしたとろろ飯。
最高…

飴玉をいくつかもらい、ポケットに放り込む。

 

第13区間(〜58.4km):猿、膝の破壊、神のエイド

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ここからまた登り。
地図を再確認すると、

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まだまだアップダウンが繰り返される…
最難関は越えたものの、油断はできない。

そういえば、スタート前、

「猿や猪が出ます」

とスタッフさんが言っていた。
猪は料理として出てきたけど、猿はおそらくそういう形では出てこないだろう。

と思っていたら、出ました、野生。
めちゃくちゃでかい。
それも1匹や2匹ではなく、道路上に10匹くらい。

めっちゃ怖い…

しかも、奴らは慣れているのか動じない。
幸いにも周りにランナーが数名いたので、引っ付いていってなんとか通り抜ける。
一人だったら怖くて通れなかったな…

結構なアップダウンがあったけど、さすがにやり方がわかってきたのか、
もうそんなに怖くはなくなっていた。

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少しずつ、夕方の気配が近づき始める。

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ペースが似ていて、何度も出会ったのが、この「伊豆の踊子」さん。

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(おそらく)夫婦でこの格好で走っていた。
コスプレで走る余裕があるの、本当にすごいと思う。

この下り坂でアクシデント。

傾斜が強い場所では飛ばしてはいけないと注意してきたつもりだったのに、
ついスピードを上げてしまい、左膝が「ピキッ」。
これはまずい、と思う痛み。

すぐに止まって休めたので大事には至らなかったけど、その後の下り坂はもう走れなくなった。
まだ20km残ってるのに、これは痛手。

でも、嘆いていても仕方がないので、悪化させないように気をつけながらやるしかない。

しばらく行くと、道から外れる上り坂の前にボランティアスタッフさんが。

「エイドステーションは上です」

出たよ…
すっ飛ばしてそのまま道なりに下っていきたい気持ちもあったが(膝的に無理だが)、
スタッフさんによれば「名エイドステーション」らしい。

気合を入れて険しい山道を登ると、

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賑わっております。
ラインナップは、

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神なのか。

今なら叫んでもいい。

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ヒャッハーー!!!

猪肉、馬すぎ。
いやいや、美味すぎ。

石廊イカ、お好み焼き、サザエ飯にぎりに、カニ汁、イチジクのワイン煮…

もう、ここに缶ビール持ち込んで、打ち上げでいいと思う。
うまいうまいと涙を流しながら、出発したくない気持ちを抑えつつ、
ストレッチをしっかり入れて次に備える。

さすがにボロボロになってきて、ストレッチがあまり効かない。
疲労が抜けないし、「疲れ」ではなく「痛み」が強くなってきている。

 

第14区間(〜62.2km):リタイアを横目に

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あまり記憶に残っていないのだけど、高低図によれば、ここからまた長い登りだったよう。

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60km。
くるところまできた。
フルマラソンが最高記録だったのだから、もう十分じゃないかとも思う。
でも、ここでやめたらもったいなさすぎる。
何より、まだ食べていないエイドがある。
(真面目に、これは本当に強い動機になる)

もう少しいったところで、また下りが始まる。
何回上り下りを繰り返してきたのだろう。

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日が沈み始める。

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心細くなるから、明るいうちにゴールしたかったのだけど。
それはちょっと無理そうだと悟る。

下りきったところに、屋内エイドステーションが。

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コーラ、ありがたい…
ここは全種食べた。

駐車場で座り込んでいるランナーと、電話で車を手配するスタッフの姿が。
リタイアか…
ここまで来て、悔しいだろうな。

長めにストレッチを入れて、ラストに備える。

 

第15区間(〜67.4km):大事なのは「あり方」

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ストレッチを終え、上り坂に挑む。

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次のエイドに着く頃には、もう日は落ちきっているだろうな。

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この区間もかなりの峠道だった。
こんなところで夜を迎えたくないなと思い、できるだけ前のランナーを見失わないようにペースに気をつける。

そんな中、20代前半の若者と、70代くらいの男性が一緒に坂道をかけ上り、追い抜いていった。
少しだけ聞こえた会話、

「残り10kmで、どれだけ頑張れるかが大事なんだよな。お先に」

そう言って一人前を行ったのは、おじいさんの方だった。
鉄人だな、ほんとに。

ウルトラマラソンをやれればそれなりに自慢できるのかと密かに思っていたけど、
700人が走っている大会に身を置くと、全然特別なことではない気がしてきた。

大切なことは、「何km走るか」ではなく、その距離を「どう走るか」。

It is not what you do, but how you think about what you do, that changes the world.

この言葉は最も尊敬する方から教わったもの。
大事なのは、挑む自分の姿勢、考え方やあり方。

誇り高く走り切ろうと思った。

が、またしてもアクシデント。

足がむくんできたためシューズがきつきつになっていて、小指の感覚がしびれてなくなっていた。
慌てて靴紐を緩めて調整したけど、痺れが消えない。
左足の親指の爪も圧死したよう。
何日か経って、黒くなって剥がれてしまうやつ。
幅広のシューズを選んでいたのだけど、それでも対応しきれなかったよう。

でももう残りは、痛かろうがなんだろうが足を前に運ぶしかない。

緩やかな下り坂が始まり、最後の大きな峠を登りきったことを知る。
もうゴールまで登りはない。

すれ違った町のおじいさんが、

「次のエイドまであとちょっとだよ!」

と励ましてくれたが、地元の方々の「あとちょっと」の距離感はなかなかのもので、
数キロあったんじゃないかと思うくらいは離れていた。
それでも、なんとか到着。

最後のエイドステーション。

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気温が落ち、ウィンドブレーカーを置いてきてしまったことを後悔。
できるだけ温かいものを身体に入れ、じっとしないようにする。

ストレッチを終えた頃には、辺りはもう暗くなっていた。

 

最終区間(〜75km):この走りを捧ぐ

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最後の7.5km。
ここまできたらもう走りきるしかない。

ヘッドライトをつけ、夜道に繰り出す。

かなり暗く、人がほとんどおらず、心細くなる。
スーパームーンの直前だったこともあり、月明かりはとても綺麗だった。
セーラームーンのことはすっかり頭から消え去っていた。
そんな余裕はない。

足がもつれてくる。
屈伸を入れようにも、思ったように膝が曲がらない。
無理をせず、ゆっくりと伸ばしては、また走る。

基本のフォームを思い出す。

腕は上ではなく、下げ目で前へ振る。
膝は内側に絞る。
骨盤を回す。

ラストスパートをかけるにはまだ早い。
こういう時こそ、基本を繰り返すこと。

最後のエイドから、何km走ったか?
あと何kmあるのか?
そもそも、道はあってるのか?

疲れと心細さのせいでわいてくる疑念を一生懸命ふりほどく。

何となく、見覚えのある道になってきた。
八の字の交差点。
戻ってきた。

本当にラスト。

べそかきそうになりながら、ライトが照らす一歩先をひたすら踏みしめ続ける。
ガソリンスタンドおじさんが「もうちょっとだよ!」と励ましてくれる。
「もうちょっと」はもう信じないが、笑って手を振り返す。

そういえばこの町にきてから、人で一度も嫌な思いをしていない。
前日から、すれ違えば挨拶してくれるし、扉を開けておいてくれるし、優しい人ばかりだなと。

いいところだなと思う。
またゆっくり来て、町の居酒屋さんに入り浸ったり、名所をゆっくりと回ったり、できたらいいな。

前日に食料を買い込んだサンクスの前を通る。
前日に受付を済ませた湯の花観光交流館の前を通る。

あの時はレンタサイクルで10分くらいだったか。
もう本当に、それくらいの距離しか残っていない。

ボランティアスタッフさんに、川沿いの道へ誘導される。
この道の先に、ゴールの青野川ふるさと公園がある。

「あと2km」

という声が聞こえた。

この日は、上司が突然亡くなってから一ヶ月の月命日だった。
いらないと言われるだろうけど、この走りは彼に捧げようと思った。

足が軽くなり、腕が上がり始め、この大会で一番のスピードが出た。
4分/km台は出ていた。
練習も含め、これまで走ってきた中で、一番無駄がないフォームだった。
まだまだスピードを上げられると思えるほど、体が軽い。
息を切らせながらスパートをかける。

明かりに照らされた公園が遠目に見え、音楽が聴こえてくる。

これが本当に本当の最後。

ゴールを横目に、公園横の歩道を駆け抜ける。
応援の人たちが沿道から声援を送ってくれる。
この先でUターンをして、ゴールをくぐるだけ。

最後の最後に、感覚がなくなっていた左足の小指に電気が流れるような痛みが走った。
ペースを上げたせいで、皮がズルッとむけた。

もはや、どうでもいい。

皮でも爪でも骨でもくれてやると思った。

Uターンをして、最後100メートルの直線。
ゴールテープとカメラが待ち構える。
猛スピードで行きたかったけど、前のランナーの直後だとテープを切れないと思い、少し距離をとる。
前のランナーがテープを切り、スタッフさんが張り直してくれたところで、最後のダッシュ。
最後くらい見栄を張りたい。

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マイクを持ったお兄さんが叫ぶ。

「“ウエムラ”さん、完走です!!」

最後に名前を間違えられるというひどい仕打ちが待っていたけど、
とにかく、75km完走。

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関東でも大会を開いている運営団体さん。
毎回ユーモアの効いた完走証を作ってくれる。

芝生に座り込み、鼻水を垂らしながら伊勢海老の味噌汁をすすり、サザエのおにぎりを頬張る。

最高の気分。

後ろを振り向けば、すぐ目の前が宿。
屋上にはあの露天風呂が。

最高。

こんなに素晴らしい競技はないと思った。

 

 

ウルトラマラソンを終えて

事前の体調もあり、完走は無理だと思っていた。
でも、苦しさ以上に楽しさの方がずっと上回る大会だった。
こんなにアップダウンがあるのは珍しいそうで、
それをやり切れたことは大きな自信になった。

とはいえ、本番は1月の宮古島100km。
制限時間は同じ14時間。

75kmで13時間かかっているようでは話にならない。

まだまだここからたくさんの課題を乗り越えていかなければならない。

◆下りで膝を壊さないスピードとフォームを学ぶ
◆平坦な道でもう少しスピードを出せるようにする
◆膝を絞り、骨盤を回す走り方をもっと定着させる
◆エイドでこんなにゆっくり食べている場合ではないかもしれない。でも食べたい。

そういう課題が見えたのも、やったことがないチャレンジをして、
その中でいろんな実験をできたおかげ。
できることだけをやっていたら見えてこなかったものばかり。

「挑戦が自分を高める」

という、とてもシンプルな一言が、今回の一番の学びだったと思う。

1週間が経ち、アキレス腱の炎症と左膝の痛み、そしてまだ咳が続くものの、
「早くまた走りたい」という想いが強まってきている。

ここから本番までの2か月をどう過ごそうか。
今回の喜びはそろそろ終わりにして、また次のチャレンジに目を向けていこうと思う。

 

最後に、挑戦前に決めたこと。

「走れたkm×100円」を、NPO法人CATiC(World Theater Project)に寄付しました。
普段映画を観る機会がないカンボジア農村部の子どもたちの元へ上映しに行く移動映画館。
約100円で一人の子どもに映画が届く。
少し早いけど、クリスマスプレゼントになればいいなと思う。

ご賛同くださる方は、ぜひ今回の走りに乗っかってご支援いただけると幸いです。

http://catic.asia/support_us

ウルトラマラソン挑戦記〈3〉:新しい相棒

この1週間はイベントが5つあった(明日でひとまず最後)。
自分の至らなさを痛感しとても勉強になったし、
色々な分野の話を聞けてとても刺激的だった。

が、準備も含めゆったりした夜を過ごすことがなかなかできなかった。
連日ずっと疲れが抜けない感じで、日中もフラフラ状態の日が続いてしまった。
ランニングもまったくできず、9/25の初フルマラソンから2週間も空けてしまった。
(これはいかん…)

今日は午前中会議が終わってから、
午後は意識が飛んで布団に突っ伏していた。
貴重な休日の午後が…

 

それでも、収穫ありの一日だった。

ぶっ倒れる前にスポーツショップに寄り、
ウルトラマラソンに向けて長距離用の新しいシューズを購入。

1か月半ほど前に池井戸潤の『陸王』を読んでしまってから、
「シューズ買おう!」と思っていたので、ようやく。

陸王

 

新しい相棒がこちら。

 

fullsizerender-2

 

これまで履いていたアディダスのシューズは、
気づけばもう4〜5年使っていたから、
だいぶくたびれていた。

買った当初はハーフマラソンしか考えていなかったので、
スピード重視の超軽量型。
ソールは薄く、重さはほとんど感じない分、
着地衝撃の吸収力はそんなに高くなかったと思う。
加えて経年劣化で硬くなる&磨り減ってしまっていて、
だいぶ足に負担がかかっていたかもしれない。

さらに難点だったのは、一つ小さい26.0で買ってしまっていたため、
15km以上走ると爪という爪に圧迫痛が始まり、
今、何本かの爪は黒いマニキュアを塗ったみたい圧死してしまっている。
フルマラソンまでは我慢して走れたけれど、
これで100kmは無理だし、余計なストレスは一つでも減らしたい。

ということで、割と早急に新しいシューズが必要だった。

 

ウルトラマラソンを考えた時に、
やはり少しでも重みを減らした方が負荷が少ないのか、
それとも多少重量が上がっても衝撃吸収力が大きいものの方がいいか、
だいぶ悩んだ。

100km走ったら、たぶん15万〜20万歩くらいか。

15万回繰り返し訪れる負荷。
ちょっとしたストレスでも、積もり積もれば大きな影響に変わる。

重さを取るか、衝撃を取るか…

 

店員さんに色々相談した結果、衝撃をとることにした。
以前のものよりはソールが厚めの、
ミズノ「ウエーブライダー20」に落ち着いた。

 

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決め手は、

・ソールの厚さの割には軽量(ゲルを入れていないので重くならないそう)
・ミズノの靴は自分の幅広な足に良く合う(サッカー部時代のスパイクもミズノを長く使った)

サッカー部時代のスパイクは、色々なメーカーを試した結果、
一番繰り返し使ったのが幅広タイプの「アマドール」(ミズノ)だった。
ナイキのスタイリッシュなやつも履いてみたいという気持ちはあったのだけれど、
試着の時点で足先が細過ぎてまったく合わず、断念していた。
なので、「ミズノは自分に合う」という良いイメージが強い。

ちなみに、当時はアマドールの中でも「スーパーワイド」タイプを選んでいた。
今回もスーパーワイドを試してみたけれど、
やはり足先の余裕が少しあり過ぎる感じもあったので、
結局通常のものに。

長距離は後半足が浮腫んでくるので、サイズは少し大きめがいいと言われる。
通常サイズの26.5と、一つ大きめの27.0を試してみたところ、
余裕があり過ぎると今度は靴擦れの可能性が出てくるので、
結局通常サイズの26.5に。
使っているうちに伸びて柔らかくなる、ということもあり。

 

やや難点は、

・デザインは他にもっとかっこいいのがあった(今回のはちょっとぼってりしている…)
・横ぶれしない安定感はアシックスのシューズの方が強かった(バランステストをしてもらったら驚くくらいはっきりと違った)

 

何が本当にベストかは、走ってみなければわからない。
が、良い選択ができたのでは、と思う。

色はオレンジと2種類あったが、
実は自分のテーマカラーにしている青に。

青い炎は、赤い炎よりも一見穏やかに見えるけれど、
本当は赤よりも熱い。

静かな、でも強い情熱。

 

 

ということで、一眠りしてから夕方にテストラン。

2週間ぶりのラン、しかも新しいシューズということで6kmくらいにしようと思っていたが、
気持ちよすぎて2倍の12kmに変更。
気候もちょうどいい。ちょっと寂しい気持ちになる季節でもあるが。

シューズの靴底って、こんなに柔らかかったっけ…
と思うほどのクッション性で(前のシューズが死にすぎていたのもあるが)、
逆にちょっとフワフワ感も強く、まだ慣れないのが正直なところ。
シューズの重さも、やはり前のものに比べれば気になり、
「あっ、靴を履いているな」という物質感が強い。

このシューズだとどんな走り方がいいのか、また一から向き合っていくことになる。
実験しながらなので、今日もキロごとのペースはかなりバラバラで安定しなかった。

それでも、6kmくらい走ると、体も温まってきたからか、
シューズの違和感はぐんと少なくなった。

もうちょい長い距離をやってみないと真価は分からないけれど、
本番までの3か月間をかけて、少しずつ仲良くなっていこうと思う。

よろしく。

 

 

そういえば、店員さんが走り方のアドバイスも色々くれた。
上半身のフォームが崩れてきた時のリセットの仕方は特にためになり、
今日さっそく試した。

ウルトラマラソンの相談をできる人はあまりいなかったので、
いいメンターを見つけられて嬉しい。
困ったら相談しに来ていいと、心強い言葉。
電解質補給の粉末サプリもおまけで付けてくれた。

深入りはできなかったし、詳しくは言えないけれど、
自分と同じ種類の、ある困難を持っている方だった。

それでも、堂々とされていた。

11月は自分にとってかなり難しい月。
そこに入っていくしっかりした準備と、
予期不安に引っ張られない決意が必要、
と思っていたところに、すごく勇気をもらった。

 

 

 

しんみりしたところで、読みたい本、乱打でも。

 

サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

上巻を読み終えてからなかなか下巻を読む時間を取れず。

認知革命、農業革命、科学革命の3つの大きな変革により、
なぜホモ・サピエンスが食物連鎖の頂点に立ち、
繁栄を続けることができているのかを読み解く。

噂話によってまとまれる集団の自然な規模は、150人が限度と言われる中、
それを優に超える人数が協力し合い、ネアンデルタール人をはじめとした他の種よりも優位に立てた理由。
それは、神話(ある種の「虚構」)を信じてまとまることができる力を認知革命によって得たからだそう。
宗教も、貨幣も、実態を持たない存在を信じることができる、
ということが、ホモ・サピエンスの一つの大きな特徴であると。
長い年月をかけた遺伝子の変化なしに、信じる物語を変えることで短期間に社会的行動を変えられる力。

認知革命以降は、ホモ・サピエンスの発展を説明する主要な手段として、歴史的な物語(ナラティブ)が生物学の理論に取って代わる。(p.55)

なかなか刺激的な主張で、「物語の力」を深掘りしてみたい身としては惹かれる。
早く下巻読みたい…

 

響きの科学 名曲の秘密から絶対音感まで

響きの科学―名曲の秘密から絶対音感まで (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

最近、少しずつクラシック音楽を聴くようになった。
先日のイベントでも気に入っているものを何曲か使うために、
繰り返し聴いていた。
とても良い。もっと早くから出会えばよかった。

先日、マエストロ・西本智実さん指揮のオーケストラを聴かせていただく機会があり、
もう目から鼻から色々出てくるくらい感動した。
音楽は毛穴から聴くんだな。
思考や解釈を飛び越して、ダイレクトに全身に響いていた。
すごすぎる。

知らなくても音楽は楽しめると思うけれど、
響きを人間がどうとらえているのかを科学的に迫っている本ということで、
興味津々。

 

〆切本

〆切本

これは笑える。
笑えるだけではないけれど、超笑える。

夏目漱石、江戸川乱歩、川端康成、太宰治、谷川俊太郎、村上春樹、手塚治虫…

有名作家たちの、〆切に纏わるエッセイ・手紙・作品集。
偉大なる作家さんたちも、みんな〆切に恐怖し、言い訳し、そして守れなかったのだと、
何か許される気持ちになれる。

開き直り具合とか現実逃避の仕方とかが本当に笑える。

 

 

 

あと97冊くらいすぐに挙がりそうだけど、今度にしよう。

ウルトラマラソン挑戦記〈2〉:星に手を伸ばせば

ここ最近、午前中の体調がものすごく悪い。
誰かが僕の藁人形に5トンくらいの重りを付けて呪っているのかもしれない。
人物を特定できないほど、謝りたい人たちは沢山いる。

なので、この場を借りて。
まとめて、ごめんなさい。
あらゆる罪を、まとめて。

今すぐ重りを外し、束ねた藁をほどき、
牛の餌にでもしてあげてください。
そちらの方が世のため、少なくとも牛のためになります。

よろしくお願いします。

 

冗談抜きに今日も、最近の天候のように重々しい朝だった。
朝食もほとんど喉を通らない。

100kmマラソン当日は5:00(もちろんAM)スタート。
本当は今のうちから早朝の練習をしておきたいところなのだけれど、
それも叶わず、お昼過ぎに体調が落ち着くのを待っての練習となった。

来週末が40kmの挑戦なので、今日は3週間ぶり(そしてまだ2度目)の30kmランと決めていた。

「甲州街道」まで片道6kmを往復する【コース・K】を2往復と、
「小竹向原」の交差点まで片道3kmを往復する【コース・K2】1往復。
合わせて30km。

たまたま【K】が二つになってしまったけれど、
【K2】は名前がかっこいい。
標高8,611メートル、カラコルム山脈にある、エベレストに次ぐ世界で2番目に高い山。
名前の由来は、

「高度、2番目」

の略。
…んな訳はなく、

「Karakorum No.2」

カラコルム山脈測量番号2号ということらしい。
こういう無機質なネーミングは、時にとてもかっこよく響く気がする。

 

 

【コース・K】往路(1回目):0〜6km

散歩中のプードルに襲われそうになったこと以外は何の問題もなく、甲州街道との交差点へ到達。

近くにあるミニストップは補給所としてとても良い。

徐々に「飲食物を補給した直後の走り方」も学んでいかなければいけない。
今のところのお気に入りは、

・レモン&チーズパウンド(273kcal):124円(税込)
・キッコーマン 調整豆乳(200ml):97円(税込)

のセット。
パウンドは程よくしっとりしているので飲み込みやすく、
豆乳は量的にちょうど良い。
ゆっくり時間をかけて食べて、食後はあまり体が上下に跳ねないように走れば、
危惧している腹痛はまったく起こらない。

ちなみにこのお店、ホスピタリティも驚くほど良い。
前回利用した時は店員さんがマラソンの応援までしてくれて、

「ご馳走様」

と口にしたコンビニは人生で初めてだった。

 

【コース・K】復路(1回目):6〜12km

10km地点前後で、身体が最高に軽くなる。

「フロー状態」「ゾーンに入る」「ランナーズハイ」
様々な呼び方があるけれど、おそらくそれに近い状態が来るのはだいたいこの辺り。

今は気晴らしのランニングではなくトレーニングで走っていることもあり、
走っている時は基本的に身体と会話している。

・腕の角度は上がりすぎていないか
・足首を固めすぎていないか
・身体が上下に跳ねていないか
・爪の痛みが始まっていないか
・上から吊るされているように背筋は伸びているか
…etc

でもゾーンに入ったような状態になると、ほとんどそういうことも考えなくなる。
周りが静かになっていって、身体はまったく疲れず、
体の輪郭の中と外の境界がなくなっていくような感覚になり、ただただ進んでいく。

その時は、その状態に委ねるだけ。
余計なことは考えない。
「ずっとこのまま走れたらいいのに」と思いながら、
すべきことは、その流れを断ち切らないようにすることだけ。
乗っかった流れから外れないように。
(でも、集中が乱れるので、意識し過ぎもダメ)

練習で困るのは、信号待ちがあること。
せっかくの流れが…

 

【コース・K】往路(2回目):12〜18km

この辺から、やはり今日はコンディションが良くないなと感じ始めた。
3週間前の30kmランの時は、身体の軽さがこの距離の区間が一番維持できていた(コース違うけれど)。
雨もパラパラと降り始め、iPhoneをコンビニのビニール袋の中にしまう。

登り坂に差し掛かると、「少し足が重くなっている」というのをかなりはっきり感じた。

中野の祭りが始まったようで、神輿が担がれていた。
あちこちの店頭に酒やつまみが現れ始め、焼き鳥の甘ダレの匂いにそそられた。
交差点の横断歩道で、神輿を眺めながら運転する車がカーブしてきて轢かれそうになった。

楽しそうに担がれている神輿の隣で、担架で運ばれていく自分を想像してみる。
かなり嫌だな…

 

【コース・K】復路(2回目):18〜24km

「もう無理」ではなく、「もうやめたい」と思い始める。
体力的にはまだ問題なかった。
一番の問題は、

「飽き」

味気ない見慣れたコースを何回も通るのは、だんだん苦痛になってくる。
知っているコースの利点は、目印を見つけられること。

「もう少しで折り返し」

など、感覚的に把握できるので、ペースメイクにもなる。

でもやはり、デメリットの方がずっと多い。
楽しくない(笑)

それもメンタル方面のトレーニングだと考えるしかない。

モチベーションが下がってきた悪影響か。
信号待ちで止めていたランニングアプリを再開させるのを忘れ、
700メートルほど走ってしまっていた。

これは地味にストレスになるミス。

 

【コース・K2】往路(1回目):24〜27km

【コース・K】の2往復が完了した時点で、よっぽど「もうやめてやろう」と思っていた。
天気も悪いし、体調も良くないし、走り終わったらやることもあるし、もうええやん。

でも、「やると決めたこと」をやらない癖を、今から付けたくなかった。

「敬遠は一度覚えるとクセになりそうで。」

と、『タッチ』の上杉達也も言っている。
敬遠は戦略の一つでもあるだろうけれど、怠惰はただの甘え。
もっとタチが悪い。(『タッチ』とかけているわけではない。)

ということで、水分補給だけして、【コース・K2】の往路へ。

元々、小竹向原へ向かう【コース・K2】の方が先に開拓した道だった。
何年も前から、ハーフマラソンの練習はいつもこの道を使っていた。
でも信号が多過ぎて難を感じていたところ、甲州街道を目指す【コース・K】を開拓。
今ではそっちがメインになっているので、
残念ながら小竹向原は【2】となった。
うちは年功序列ではないのだよ、残念ながらね。

とはいえ、【コース・K】の3回目の走行は嫌だったので、
気分転換も込めて【コース・K2】に切り替えた。

ハーフマラソンの練習と違い、100kmを意識しているのでペースはずっと遅い。
ペースが変われば信号運も変わる。
昔はあれだけ信号で止められていたのに、今日は「青」ばかり連続で続いた。
これは思わぬ喜ばしい誤算だった。

往路でいう2km地点に、少し急な坂が一つある(行きは下り、帰りは上り)。
疲れに気づくのは、上りよりも下りのことが多い。
上りは乳酸的なきつさなので、気合でなんとかなる。
でも疲れている時の下りは、踏ん張りが利かず膝が曲がらないのでちょっと危ない。
昔から膝が悪い身としては、下りの方がきつい。

今回のこの下りも、「あぁ、だいぶキテるな」という実感がわいた。

その後すぐに階段の上りがあるのだけれど、いつも思う。

「どうせ上るのなら、下るな。」

と。

でもそれは、小さき人間の我儘に過ぎない。
地形の方が大先輩だということを忘れている時は、謙虚さに欠けている。

謙虚さを失うと、大抵悪いことが起こる。

 

【コース・K2】復路(1回目):27〜30km

「これでラスト!」と思うと、決まって一気に身体がきつくなる。
この法則は何なのか。

小竹向原の交差点で折り返し、せっせと上ってきた階段を下り、例の坂をせっせと上り、
もう少し進んだおそらく28km地点で、事は起こった。
(カウントされなかった幻の700メートルを入れた場合)

強い脱力感と目眩に襲われ、これはさすがに足を止めないとまずいと思い、中断。

エネルギーが足りなくなってハンガーノックみたいな感じなのか、
それとも昨日変えたばかりの乱視用コンタクトのせいなのか、
止まっても目眩が消えない。

ポケットに忍ばせておいたウイダーの塩分入りタブレットをボリボリと2粒食べて、
コカコーラの自動販売機で500mlのペットボトルを買い、
後先考えずに一気に飲み干した。

ストレッチを長めに入れて、15分ほど休んだものの、
同じペースで走り続けるのは不可能と判断。

何かあった時に電車やタクシーで帰れるように、
ジッパー付きの小さなプラスチック袋に2000円入れて走るようにしている。

ついに使うときが来たかとも考えた。
だけど、28kmまで数字を貯めておいて、
30にさせずに終わるのはあまりにも口惜しい。

これが登山だったら、たとえ山頂手前でも絶対に戻らなければいけないと思う。
でも幸いなことに、ここは近所の隣駅。

どれだけペース落としてもいいから、30kmまでは行こうと決意。

ちなみに、あの幻の700メートル分が引かれているので、正確な表示は27.3kmだった。
ここでこの700メートルが効いてくる…
本当ならあと2kmでいいのに、このボロボロの身体で2.7km走らなければいけない。

何を言っても始まらないので、ずるずると引きずるように足を前へ前へ進める。
「進む」というか、「削る」の方がイメージに近い。

残りの距離を、10メートル単位で「削って」いく。

この時は、チラチラとアプリを見ないことが大事。
疲れている時は、思っている進度からかなり割り引いて考えても、
それよりもさらに進んでいないもの。
メーターを見て受け取れるものは絶望感しかない。

これを俗に、『進度・bad』という。

今何キロ!?
そうね だいたいね〜

きついのは!?
そうね 大腿ね〜

…今日の僕の疲れ具合を推し量っていただけたらと思う。

 

700メートル余分に走らされることにはなってしまったけれど、
無事に30kmは走り終えることができた。

30km

最後は意地だけど、意地をなくしたら挑戦はできない。

 

 

 

以前、陸上をやっていた友人が言っていた。

30kmに、一つ目の壁がある。

ウルトラをやるのであれば、毎日10km走っててもダメ。
月に数回でもいいから、30km超えの練習が必要。

7月に少しずつ走り始めてから、順調に距離を伸ばしてきた。
でもやはり、ここで一つの頭打ちが来そうな気がしている。

10点のテストを30点にするより、
30点のテストを50点にする方が、
同じ20点でもずっと難しい。

これが60、70と進んで行くごとに、
上昇のペースは下がっていくと今から覚悟しておいた方がいい。

 

そう思うと、100kmの目標は今の自分には遠すぎると思う。

走れる距離が上達すればするほど、目標に近づけば近づくほど、
その難しさがわかって、かえって遠く感じてしまう。

 

でも、

かっこよく言えば、「もうやると決めた」から。
かっこ悪く、そして現実的に言えば、「もうお金払って申し込んでしまった」から。

やるしかない。

 

できると分かっている70を目指せば、
目標に達して70を手に入れられるかもしれない。

でも、

できないかもしれないけれど100を目指せば、
やっぱり届かなかいかもしれないけれど、
でも80を手にできるかもしれない。

星に手を伸ばせば、泥を掴まされることはない。
星に届かなくても、雲なら手に入るかもしれない。

そんなことを、誰かが言っていた。

 

挑戦とは、そういうことだ。
今やりたいのは、そういうことだ。

ウルトラマラソン挑戦記〈1〉:申し込み完了。

第27回 宮古島100kmワイドーマラソン」への申し込みが完了した。

 

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↑受付メールのスクリーンショット

 

こんな距離に挑もうとしておきながら、
まだフルマラソンもやったことがない。
ハーフマラソンは何回か出たことがあって、
先日31.5kmを走ってようやく最長記録を更新したところ。

それでも走り終わった後数日間は身体にかなり響いていて、
左膝と右足首は1週間くらい歩くのも痛いほどボロボロだった。

その距離をあと2回走ってもゴールじゃないというのは、
覚悟はしていたけれど想像以上にチャレンジングだなと痛感。

でも、挑戦してみたいという気持ちは消えない。

 

 

 

そもそも何でやろうと思ったかというと、
思い当たることが3つある。

 

①リベンジ

実は、バカなことに学生時代にノリで申し込んだことがあった。
卒業前の最後の年度。

が、延ばし延ばしにしていた論文の追い込みでそれどころではなくなり、
現地入りすることすらなく棄権した。(もったいない…)

100kmマラソンは他にも四万十川とかサロマ湖とかいろいろあるけれど、
走るとしたら宮古島リベンジにしようと。

 

②初沖縄

三線(さんしん)の音色が好きで、これまたバカなことに、
楽器なんてほとんどやったことがないのに初任給で購入。
その翌月に、卒業される先輩の送り出し会で島唄の替え歌を披露するという大きな試練を乗り越え、
一心同体の心の友になったかと思いきや、今は部屋の隅で埃をかぶっている。

ともかく、沖縄から取り寄せて買うくらいの情熱はあったのに、
実は沖縄に一度も行ったことがない。
バカなのですね、やはり。

ということで、沖縄に初上陸する口実も欲しかったのだと思う。

 

③ちょうど良い距離感の目標

「出るか」と考えたのが7月頃。
7月は何かと思うところがある月で、
現状を変えるためのチャレンジを持ちたいと思っていた。

短期的過ぎず、長期的過ぎず、
程よい(時間的な)距離感の目標が欲しかった。

そこでいうと、「半年後」というのはとてもしっくりきた。

現状の体力や経験では内容的には到底敵わないけれど、
半年間本気になればなんとかなるかもしれない。

そう思える距離感なのでは、という感覚があった。
これ以上期間が空くと、「もっと近くなってから練習しよう」と先延ばしにしてしまいそうだった。

 

 

 

過去の記憶を辿ると、制限時間は16時間のはずだった。
のだけど、今月頭に受付開始してからよく見てみると、「14時間」。
かなりの誤算…

単純計算「8分24秒/km」でぴったりのペース。

それだけ聞くと第一印象だいぶ余裕がある気がしてしまうが、
長丁場のレースとなれば、「休憩」「トイレ」「食事」など、
ハーフマラソンレベルでは考える必要がなかった時間がかかってくる。
後半のバテや怪我によるペースダウンなども考えると、
初心者には全く余裕なんてない制限時間だと思う。

今日まで2ヶ月弱走ったり考えてきた経験だけでいえば、
今のところ「6分40秒/km」を基本ペースにしようと思っている。

先日の30kmマラソンの時に、ほぼほぼブレなくこの前後のペースを維持できて、
そしてとても気持ち良かった。
これ以上速くしたら、今の自分ではウルトラは持たないと思う。
ハーフマラソン感覚のペースで走ってはいけない。
「自制心」もこの挑戦の一つのテーマだなと思う。
(本当はもっと速く走った方が、気持ちも乗るし風を感じて気持ちいい)
逆にこれ以上遅くすると、一歩一歩の体重が足にズシンズシン乗っかり過ぎて辛くなる感じがする。
実際に、その前のハーフマラソンは7分/kmを維持で走ってみたけれど、
最後の3kmはかなり足がきつかった。
(まだ練習始めたばかりで基礎体力がなかったことも要因だと思うが。あと、すごい猛暑だった…)

単純に「遅くすれば楽」というわけでもないのかな、
と、今のところ思っている。

 

この計画が正しいのかどうか今は分からないので、
大事なことは今のうちから色々実験してみること。
自分の身体の声によく耳を澄ませて、
柔軟に作戦を変更していくこと。

さっき書いた3つの理由に入れていなかったけれど、
この「自分とじっくり対話する」ということをやりたかったから、
長い距離のマラソンを選んだのかもしれないとも思う。

「耳を澄ませる」という力が弱まっていると、ここ数年ずっと感じていた。

走っているときは、余計な思考が抜けていく。
頭の中が静かになる分、身体の声がよく聴こえるし、
普段消えていた感性も鋭くなる。
空っぽになった頭が真空のように、
もっと今の自分が感じるべきことを吸い寄せてくれる。

というような感覚になれるのが、とても好き。
身体はきつくても、走っている時の方が楽だとすら思う時も多い。

 

…などと言っていられるのは、今くらいの距離のうちだろうなと思う。

「走る方が楽とか、寝言でした。ほんとすみません。」
と謝りながら、100kmの道に涙と鼻水を垂らしているかもしれない。

 

 

本番の1月15日まで、あと126日。
4か月ちょっと。

7月は、走るという感覚を思い出す。
8月は、以前の体力に少しでも近づく。
9月は、練習の本格化に向けた土台作り。
10月・11月は、追い込みで50km以上の練習を重ねる。
12月は調整で、1月が本番。

そんなイメージを持っている。

 

一番大切なのは、怪我をしないこと。
短期決戦ではないことを肝に銘じる。

 

いい挑戦になりますように。

個人的な井戸の底にある共通の水脈

この1週間、足首を壊して歩きづらかったり、
疲れが溜まっていたせいか、両腕に出現した発疹が消えなかったり、
ちょっと大変だった。
今日ひと段落があったので、明日は小休止を入れようと思っている。
「何をしようか」と考えた時に真っ先に思いついたのが、

「走りたい」

だった。
サッカーをやっていた時も、身体を動かしていないと落ち着かない体質だった。
マラソンを再開してからも、またその傾向が見られる。

スポーツは、一つの中毒だと思う。

 

 

夏は夜。

特に、秋に向かい始めた夏の夜はとても好き。
暦の上では8月7日が立秋だそう。
でも、今くらいの時期にならないと、
なかなか秋に向かっているとは感じられないのが正直なところ。

湿気が引き始める感覚。
そのおかげもあってか、虫の音もより響く。

都会は景色が良くないけれど、虫の音は変わらず綺麗だと思う。
ただそこにだけ耳を傾けて、一晩を過ごしたくらい。

帰り道は、自然とその音が聴ける道を選んでしまう。

感性を失った時が、一番怖い。
この感覚は、大事にし続けたいと思う。

 

 

 

最近の本

ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)
ユング心理学入門 〈心理療法〉コレクションⅠ

カンボジアにいる後輩から、「これ、読んでおいてください」と与えられた課題図書。
著者の河合隼雄さんは、日本人でユング心理学を学んだ(おそらく)先駆的な方で、
箱庭療法を日本に導入したことでも有名。

この方の著書は何作か読んでいて、元々かなり興味を持っていた。
特に『影の現象学』は飛び抜けて面白く(最初に読んだ本がこれだったことも大きいと思う)、
人は無意識の中に「自分が生きることを選ばなかった形」をどれだけ押し込めているのかを教えてくれた本で、今でも時々読み返す。

影の現象学 (講談社学術文庫)
影の現象学

この本を読んでから、寝ている時に見る「夢」に対する見方も相当変わった。
(悪く言えば、不必要に夢に意味を感じてしまうようになってしまった。夢は昔から嫌になるくらい見る)

河合さんの自伝『河合隼雄自伝 未来への記憶』も面白い。

河合隼雄自伝: 未来への記憶 (新潮文庫)
河合隼雄自伝 未来への記憶

表紙を見ればひしひしと感じるけれど、
河合さんが「愛すべきおっさん」であることがよくわかる本。
持ち前のユーモアで、気に入られる人にはとことん気に入られ、
相性の合わない人とは徹底的に喧嘩する姿がとても気持ちいい。
とにかく「一人ひとりの人間」への関心が尽きないところも魅力で、
臨床をとことん大事にする姿勢に繋がっているのだなとわかる。
心理学というと、人を理論で見出されたカテゴリーに区切ってしまうイメージがあるけれど(「あなたは何々型」とか)、
河合さんはあくまで「一人ひとり」を見ていると思う。
尊敬する方々を思い浮かべると、みんなこの「一人ひとり」を大事にしている。

 

話が戻って、『ユング心理学入門 〈心理療法〉コレクションⅠ』で特に面白いのが、
「個人的無意識」と「普遍的無意識」の話。
これは他に読んできて好きだった本にとても共通している分野。

河合隼雄さんは村上春樹さんと対談をしている(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』という本にもなっている)。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)
村上春樹、河合隼雄に会いにいく

「河合さんは、自分の物語を深い場所でわかってくれる唯一の人」
というようなことまで語っている村上さんは、
物語を生み出すときに降りていく心の深い場所を「井戸」に例えることが多い。
あくまで「個人的な」井戸を深く深く降りていくと、
人間にとって「普遍的に」通じる水脈にたどり着くことがあると。

 

個人的な感覚ではあるけれど、芸術家の真価は、
本当に深いところ(水脈)から汲み上げたものを、
自分という通路を通してとても個人的な表現で浮かび上がらせて、
だけどそれに触れた人たちを、もう一度深い水脈まで降ろさせてしまうことではないかと思っている。

村上さんも「自分が書き上げたものの意味がわからない」とインタビューでよく語っていて、
その辺りは「個人的無意識」に通じるのかもしれないし、
読み手もなぜか「なんとなく知っている感覚」を呼び覚まされるのは、
表現されたその「個人的無意識」が「普遍的無意識」に繋がっているものだからではないかと思う。

村上さんはユングの言っていることにとてもシンパシーを感じているそうだけれど、
ユングの本は意識的に読まないようにしているらしい。
知り過ぎてしまうとそこに引っ張られて、
自由な創作活動に支障をきたすかもしれないから、というような理由だったと思う。

両方読んでいると、「いやいや、こっそり読んでるんじゃないか?」
と思うくらい、語っていることが共通していて面白い。

 

このような話は、心理学や芸術の世界だけではなく、
「リーダーシップ」や、(まだかじった程度で不勉強だけれど)「量子物理学」の分野でも、
「あぁ、井戸の底の話と繋がっている」と思えることもある。

そもそもジャンルなんて便宜的に区切ったもので、
無理やり引いた国境線のようなものだと思う。
枠にとらわれずに共通する何かを感じ取った時は、
「学ぶって素晴らしいことだ」と心から感じるし、
もっと学び続けたいと思う。

自社本だけれど、ここまでの話にとてもマッチする本はこれ。

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源泉 知を創造するリーダーシップ

久しぶりにじっくり読み返したい。
そうそう、明日は「走りたい」と同じくらい「本に浸りたい」。

そしてとりあえず、発疹にお引き取り願いたい…

 

 

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(いい感じの「井戸」の写真のフリー素材は、案外ない。)

根本的な自信について

月が変わるたびに、「今年の何分の何が過ぎたのだろう」といちいち計算する癖がある。
7か月が終わった先月頭は、「割り切れずに中途半端だな〜」と感じた記憶がある。
だけど8か月が終わった今は、「3分の2か…」という、もう少しリアルな実感がわいている。

あと3分の1。

節目になったら何かやり出す(「ブログの更新を再開する」はとても典型的…)のは、
裏を返せば「節目にならないと始められない」弱さでもある。

分かってはいるけれど、たとえそうであろうと、
やらないよりはやった方がいいのだろう。たぶん。

ということで、久しぶりにキーボードを叩いてみる。
あまり時間を割くつもりはないので、ばーっと。

 

 

 

「根本的な自信」というものについて。

 

「根本的な自信」という言葉は直感的に出てきたものなので、
あまり語源的な意味は考えていない。
ただ第一印象でしっくりきているというだけ。

「根本的な自信が見当たらなくなった」という感覚が、ここ数年強い。
「見当たらなくなった」などと考えているということは、
「それがあった時期もあった」という風にどこかで思っている証拠だと思う。
そもそも持っていなかったものに対して、「失う」ような感覚がわくことは多分ないだろうから。

 

振り返ると、「それがあった」ように思い当たる時期もある。
ありがたいことだと思う。

でも、ある程度でも自分に自信が持てていた時でも、
能力や技能において誇れていたと思えることは、
不思議なことにあまり思い当たらない。
傲慢になっていた時期はあったけれど、
「絶対的にこれはできる」という確固たる自信を持てていたものは、特にない。

 

そこにあったのは、「学び続ける謙虚さ」「何としてでもやり切りたい執念」だけだったと思う。

能力がなくても、「何かにぶち当たったら学べばいい」「できる人に謙虚に頼めばいい」と。
「執念さえあれば、色々なことが味方してくれる」と。

 

今、「根本的な自信が見当たらなくなった」と感じているのならば、
「学び続ける謙虚さ」と「何としてでもやり切りたい執念」が欠如しているのかもしれない。

そう改めて言葉にすると、ものすごい危機感を覚える。

謙虚さを失ったら、いったい自分に何が残るのだろうか、と。
でも、本当に大切なものを見失いかけている時に違和感を感じられる、
というのは、とても恵まれていることだと思う。

自分への正直さを無くす時が、一番怖い。

 

 

今日の本

写真家・星野道夫さんの没後20年を記念して、
あちらこちらの本屋さんでブックフェアが開催されている。

恥ずかしながらこの方のことは知らなかったのだけど、
棚に平積みされている写真集を何ページが繰ると、
アラスカの圧倒的な光景に呆然としてしまった。

 

星野道夫 (別冊太陽 日本のこころ 242)
星野道夫 (別冊太陽 日本のこころ 242)

確かこの本だったと思う。

深い青の空の下に広がる雪原に、
鯨の巨大な骨(おそらく肋骨)がストーンヘンジように無数に突き刺さっていて、
真ん中に十字架が一つ立っている写真があった。
言葉にできないけど、次のページにいけなくなるような強さがあった。

「呪術的」というには爽やかすぎるけど、
「自然美」というには魔術的すぎるような。

人が見惚れるものには、たいてい両義性が備わっている気がする。
時には矛盾を感じるほどに。
(「呪術的」と「自然美」を対にするのはまだ言葉の納得度が全然足りないけど)

去年日本で引退したバレリーナのシルヴィ・ギエム。
「彼女のパフォーマンスは両性具有的・中性的」という声が多かった、
という話を思い出す。
年越しのラストパフォーマンス、あれは涙が出るほど感動した。

 

カリブー 極北の旅人
カリブー 極北の旅人

彼が愛してやまないアラスカの自然の中でも、
カリブーに対する思い入れはとても強かったそう。
ちなみに、和名が「トナカイ」、英名は「レインディア」、
「カリブー」は北アメリカに生息する個体を指すときに使い、
イヌイット語が語源になっているそう。
どれも素敵な名前だと思う。

「トナカイの絵を描け」と言われたら、
絵心のない自分はおそらく「前に長い角」を描いていたけど、
むしろ後ろ側に伸びて、折れ曲がって上に突き出る角の迫力がすごい。
形にはだいぶ個体差があるけど、枝分かれした部分は人の指みたいで、
角全体が、見えない球体を掴んでいるか、天を仰いでいる両腕に見えた。
とにかくすごい。

 

星野道夫著作集〈1〉アラスカ・光と風 他
星野道夫著作集〈1〉アラスカ・光と風 他

写真だけでなく、この人は文章もとても好き。
誇張したり着飾った表現はなく、「短文。短文。」で続くとても良いリズムの文章。
達観した落ち着きのように感じる時もあれば、
初めて触れたものへの少年のような感動が表れているところもあり、
個人的には抵抗感が全然なく、すんなり入っていってしまえる。
パラパラとしか読めていないけど、全著作読んでみたいなと思えた。
危険だ…

 

 

カリブー

カリブー。
僕はヤックルの姿を重ねて見ているのかもしれない。

あの日から5年経って

この5年間、ずっと文字にすることができなかったことがある。
でも昨日、自分の中で一つの区切りができたので、少し書こうと思う。
最後まで書けるかあまり自信はないけど。

何のことか察しが付いている友人たちは、
読みたくなかったら読まないようにしてください。

 

 

 

この一週間は、僕にとって「命の一週間」だった。

718日は親友の誕生日で、
722日は僕の誕生日で、
5年前の724日に、彼はこの世を去った。

 

誰もが言う。

「あいつは人の23倍のスピードで生きていた」

そう思う。寝坊も多かったけど、鉄人みたいだった。
あんな理不尽な終わり方をするとは思っていなかった。

 

「轢き逃げ」といえば、「よく聞くこと」になってしまうのだろうか。
その年だけでも180件近くの轢き逃げ死亡事件が起きている。

統計データの件数だけを見ていたら、その一つひとつにある重さや悲しみは分からない。
こんなに悲しいことが日々起きているのかと思うと、
感受性を断ち切らないと生きていけないのではないかとすら思う。

 

 

 

葬儀以来、彼の実家には行けていなかった。
直接手を合わせに行きたいと毎年思いながら、
心も足もどうしてもついていってくれなかった。

代わりに事故以来、現場にばかり狂ったように通い続けて、
そして本当に狂ってしまった。

情けない。
残された者として頑張りたいのに。
合わせる顔がない。
自分がまともに戻るのが先だ。

そんなことばかり考えてきたけど、物事は大きくは変わらなかった。

 

あれから5年経っても、僕はまだ情けないままだと思う。

でももうそれでもいいから、
今年は何が何でも行こうと決めた。

なんか、自分のためみたいだね。
ごめん。

それでもとにかく、今年はやっと行くことができた。
日帰りの短い旅だったけど、5年越しの想い。

ここまで、長かった。本当に長かった。

 

 

 

ご遺族の苦悩を、その一端に過ぎないけれど、5年間ずっと見てきた。
見るたびに、いつも心が張り裂けそうだった。
お伺いして、いったい何て声をかければいいのか、ずっとわからなかった。

君の部屋を見せてもらい、
君が読んでいた本、
君が聴いていたCD、
君が飾っていたポスター、
たくさんのものを眺めているうちに、
堰き止めようと思っていたものが崩壊した。

その涙を優しく拭ってくれたのは、お母さまだった。
あまりにも優しすぎた。一番苦しいはずなのに。

5年前の事故の翌日、同じような優しさに触れたことを思い出した。

猛暑の中、現場で何時間も泣き崩れていた時に、
通りがかりのおばあさんが頭を撫で続けてくれて、
横で念仏を唱えてくれた。
人間の心の底からの優しさを感じた。
あの時のことを思い出すと、今でも涙が出てくる。

昨日涙を拭ってくれたお母さまのその手も、同じように優しかった。

「なんて声をかけたらいいのか」なんて、どの口が言っていたんだと思う。
世話かけてしまって。
こんなに情けない自分で本当に申し訳ないです。

 

 

 

それでも、涙よりも笑いの方がずっと多い1日だった。
(いなくなると、けっこう色々暴露されるものだよ(笑))

この日を「誰かと語り合う」という形で迎えたのは初めてだった。

「忘れないこと」はずっと大事にしてきた。
だけど、「語り合うこと」は避けてしまっていた。

でも「語り合うこと」も、「悼む」という行動の一つなのかもしれない、と気づいた。

悲しむことだけじゃない。
笑える思い出でもいい。

君が生きた証を、語り合える人たちがしっかりと胸に刻む。
ずっと忘れない。

 

 

 

何の実績も取り柄もなかった僕が学内でTABLE FOR TWOを始めた時に、
人生で初めてのロングインタビューをしてくれたのは君で、
掲載されたのは君が作っているフリーペーパーだった。
今でも大事に持っている。

そういえばインタビューのとき、せっかく最後まで語り終わったのに、
録音のスイッチが入っていなかったことに気づいて最初から語り直しになったことも覚えてる(笑)
あの日の打ち上げで、君がお酒弱いことを知った。

 

「ゆーやんとは、1か月くらいぶっ続けで語り明かさなきゃダメだな」と笑いながら、
夜中に大学でこれからのことを語り合っていたあの話、

「いつか、26言語の料理店全てにTABLE FOR TWOが導入される日が来るよ」

その2年後に、後輩たちが叶えてくれた。
あともう数ヶ月生きてくれていたら直接見せられたのに、
と思うと、それが今でも悔しい。

そういえば(「そういえば」が多いな)、男友達で「ゆーやん」と呼んでくる数少ない一人だった。
女の子に呼んでもらうよりは全然嬉しくないけど、でも違和感なかった。

 

君が書き続けていたブログは、本という形になっている。
あの詰め込み過ぎの毎日の中でよくあれだけ書き続けられたなと、
改めてすごいと思う。
400ページ越え3冊になっていて、まだ最後まで辿り着いていない。
昨日受け取って、一生大事にしようと思った。

正直に言って、リアルタイムで読んでいた時は、
音楽の話がマニアック過ぎて意味わからないところだらけだったんだけどね(笑)
君の音楽講義を聴きにいった時、一応頷きながら聞いてはいたけど、
実はほぼ意味わかってなかったです…ごめん

でも今、ゆっくりと一つひとつの記事を読み返している。
マニアックな民族音楽の話はおそらく相変わらずわからないと思うけど、
随所に出てくる哲学・神学的な話や、くだらないオヤジギャグのことなら、
あの時よりはもう少しわかるんじゃないかなと思う。
分かってしまうと、きっともっと話したいと思ってしまうんだろうけど。

 

ほっっっとんどの人が「?」と思うようなマニアックなことでも、
自分の関心と情熱に忠実に、呆れるくらいストイックにとことん追い求め続けた姿が、
残された人たちの心の中にしっかりと焼き付いている。
「俺には敵わない」という思いと同時に、
いつまでも刺激を与え続けて欲しいという尊敬をずっと抱いていた。
今も抱き続けている。
後にも先にも、君以上のハードワーカーを知ることはないと思う。

 

イランへの音楽取材の旅を間近に控えていたね。
食費削って、鬼のようにバイトして、ペルシャ語にまで手を伸ばして勉強して準備して、
あとちょっとというところで。

 

そんな頑張っていたやつの命を、なんで奪うんだよ。

 

加害者の話はしたくないし、書き残したくもない。
彼に対する想いが薄れたり邪魔されたりするかもしれないから、
あえて思考の外に放りだそうとすらしてきた。
顔合わせていないのがせめてもの救いかもしれない。

でも今年は、いつもより考えてしまう。

それでも、それについてはもう書かない。

 

 

 

思い返していくとさ、君に「お願いしたこと」ばかり出てくるんだよ。
「叶えてもらったこと」ばかり。
俺が役に立てた時ってあったのかなって。

一番最後にした電話も、TABLE FOR TWOの宣伝のお願いだった。

でも、謝るのはちょっと違うよね。

だからせめて、こんなに素晴らしいやつがいたってことは、
これからも絶対に忘れないし、伝えられる人には伝えたいと思ってる。

 

 

車を運転される皆様へ。

便利なものだし、移動が楽で早くなることで、
旅ができたりして豊かになる人生もあると思います。
救急車はたくさんの命を救ってきたと思います。

だけど同時に、車は人の命を奪ってしまえるものでもあります。
どうか、お願いですから注意して運転してください。

飲酒運転はもちろん、最近本当に怖いのは「スマホしながら運転」。
使っていないから実態がわからないけど、
例えばポケモンGOをやりながらの運転で誰かを巻き込む事故とかもし起こしたら、
それがたとえ親友でも許せる気がしません。

車を運転するということの自覚を、強く持ってください。

 

 

 

なんでこの記事を書いたのかと言われたら、
自分が今より前に進みたかったからなんだと思う。
自己中な理由で書いてしまったと思う。

でも今年向こうへ行けて、やはり何かが動いたと思えた。

書き残そうと思って、書き始めては消しての5年間。
書くのなら今なんだろうと思った。

彼は僕の昔のブログをずっと読んでくれていたので、
これも読んでくれたらいいな、とも少し思ってる。

昨日から色々と思い返しながら、もう一度君に教えてもらったことは、

「自分の感性を大事にしろ」

ということ。
周りからクレイジーに思われたっていいから、
自分のペースとスタンスでとことん好きなことを追い求める。

それで今頭の中に浮かんでいるのは「100kmマラソンを走ってみよう」という、
まあなんというか僕が時々やらかすそういう系のことしかまだないんだけど、
とにかくやってみようと思う。

やはりここまで来て、書いてきたことを全部消してしまおうかとも思うけど、
最初の自分の感性に従って、ここに残すことにする。

 

 

また来年ね。
その時までには、もう少ししっかりしています。

みんな君のことを愛し続けています。