メモ

難儀なことがあった時に読み返すメモ

ちょっと難儀なことがあった。

飲み込むのに時間はかかるだろうけど、
飲み込めるまでどういう自分であれるかが大事だと思う。
腐ってちゃいらんねぇ。(なぜか江戸っ子風)

これまで支えになってきた言葉はなんだったっけと思い、
過去のメモをひっくり返してみた。

メモ魔でよかった…

雑だけど、いくつかまとめてみる。
また時々読み返そう。

 

 

 

本気で生きた恥ずかしい今は、いつか振り返った時の誇りになる。
適当に生きた恵まれた今は、いつか振り返った時の恥になる。

 

「恥」としてへこんでいくのではなく、「学び」として蓄えていけるように。そういう心持ちを。そして、「本当に恥」なことをしないように。つまり、失敗ではなく、不誠実をしないように。

 

凪にあっては、船は動かない。
風があっても、帆を張らなければやはり動かない。
外圧に身を晒しながら、良い方向に受ける身構えを。

 

「こんなはずじゃなかった」にとらわれている時、「どうありたいのか」はちゃんと描けているか。描かずにただ嘆いているだけか。

 

「ありたくない姿」からの出口か。
「ありたい姿」への入り口か。

想像して最初に浮かんだこの二つの姿は、
同じたった一つの絵に描ける、
同じたった一つの扉に過ぎなかった。

その同じ絵にどちらのイメージを重ねるかで、
何かが大きく違ってくる予感がした。

その「何か」が何なのか、また想像してみる。

扉に向かっていく自分の表情。
もしくは後ろ姿。
足取りの軽さ。
心拍の種類。
追われる切迫感ではなく、追いかけるものへの憧れ、待ち遠しさ。

必死に0に戻ろうとしているのか、
快活に0の先へ進もうとしているのか。

自ら絵は描けなくても、そこにある光景に対する解釈は自由だ。
「絵は描けない」という思い込みを壊すのも自由だ。
その自由を使うか使わないかすら自由だ。

ところで、何を選びたいのか。
今、何を選んでいるのか。
選べているのか、選んでしまっているのか。

 

上り坂の途中、辛くて仕方がないとき、上を向くことと同じくらい、下を向くことも大事。長い長い上り坂の頂上は、上ばかり見ていると近づいている気がしない。上を向いて、向かっている方向を確認する。下を向いて、自分が進んでいることを確認する。確かに地面が後退している光景を見る。

 

思考により行動を変えようとするよりも、無理にでも具体的な行動をして思考を引っ張ってもらう方がいい時もあると思う。事実を積み上げ、記憶を塗り替えていく。事実がないと、心は騙せない。

 

同じ行動でも、「何かを回避したい」という気持ちは消耗を生み、「何かを創造したい」という気持ちは活力を生む。

 

見たくもないものに苦しんでいる時は、目を閉じるよりも、もっと目を見開いて美しいものを見る。
聴きたくもない音に苦しんでいる時は、耳をそらすよりも、もっと耳を澄まして美しい音を聴く。
奪われるような美しいものが、たくさんある。

 

「できないこと」を隠れ蓑にして、「できること」まで手放さないように。

 

「あってよかった」とは口が裂けてでも言わないだろう。でも「起きてしまったからには」という気概はなくさないように。

 

自分がダメな時ほど、人を応援するように。

 

夢は、至らない現実によって引き下げられるものじゃない。
現実を引き上げてくれるもの。

 

心の不安定は
エネルギーの不足よりも
エネルギーの使いどころが
見つからないから起こるのかもしれない

 

自信がないからこそ決意した方がいい。決意できるまで自信が醸成されるのを待ってばかりじゃなくて。

 

苦しい時、「苦しみたい」と思っている自分はいないか。
悲しい時、「悲しみたい」と思っている自分はいないか。
絶望している時、「絶望したい」と思っている自分はいないか。
それは一時的に許される。だけど、安住してはいけない。
全て自分の欲求によって生まれている、と考えることは、
自分にコントロールの権利があるととらえる機会になる。
決定は外的要因ではなく、内的解釈によって起きる。

 

日の出に決意、日没に感謝、夜月に望み。

 

 

 

ここからは引用。
素晴らしい本にたくさん恵まれて感謝。

 

 

 

「取越し苦労が胸の奥に巣喰って、隠れた苦痛の種子を蒔いて、落着きなくからだを揺すり、生活の悦びと心の平安を掻き乱す。憂いは次つぎと仮面を変える。お前はお前を襲いもしない一切の不幸に慄え戦き、なくす心配のないもののために愛惜の涙を流す。」

-『ファウスト

 

・「思いちがいをしないでほしいが、希望的想像と同じくらいおろかしく、それよりもたしかにずっと苦しい恐怖の幻想に身をゆだねるほど、私はまだ弱ってはいない。仮にわたしが自分を欺かねばならぬとしたら、信頼の側に身をおくほうがましであろう。そのほうが恐怖の側に身をおく以上に失うことはなく、苦しみはより少ないというものだ。死は間近いが、しかし必ずしもすぐというわけではない。わたしはまだ毎夜、朝を迎える望みをいだいて寝に就く。いましがた話したあの越えがたい限界の内側で、わたしは一歩一歩陣地を守り、何寸かの失地を回復することさえできる。」

・善は悪と同じく習慣となるものであり、かりそめのものも長引き、外面的なものも内部へと浸透すること、仮面も年月がたてば顔そのものになってしまうことをわたしは知っていた

・かつて残忍な主人に足を折られながら呻き声ひとつあげなかったその昔の奴隷、いまは尿砂の病の長い苦しみを忍耐強くこらえているこの虚弱な老人が、わたしには神々しいまでの自由を所有しているように見えた。

-『ハドリアヌス帝の回想

 

・今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。曰く「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である」

・動揺もなく、麻痺もなく、偽善もなく

-『自省録

 

耐えられぬものは殺す、永く続くものは耐えられるものである

-エピクロス

 

What doesn’t kill you makes you stronger.

-フリードリヒ・ニーチェ

 

恐怖の数の方が危険の数より常に多い。

-セネカ

 

アノネ
がんばんなくてもいいからさ
具体的に動くことだね
ともかく具体的に動いてごらん
具体的に動けば
具体的な答えが出るから
かんがえてばかりいると
日がくれちゃうよ

-みつを

 

If you shed tears when you miss the sun, you also miss the stars.

-『タゴール詩集 迷い鳥

 

結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにすぎない(中略)それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。

-『風の歌を聴け

 

傷つくことを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。

-『アルケミスト

 

 

 

血肉に変えて、一つひとつ行動にしていこう。

《メモ》東京国際文芸フェスティバル2016

東京国際文芸フェスティバル2016(文芸フェス)に行ってきました。

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3.2〜3.6の間、世界の著名な作家もお呼びして様々な催しが行われます。
僕が参加したのはこちら。

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文学は国境を越え、世界中の読者と出会う
海外文芸誌編集長と語る “世界文学”の創作現場

登壇されたのは、

ジョン・フリーマン:英語系最大の文芸誌『グランタ』の元編集長で、現在文芸誌『フリーマン』編集長。
中村文則:小説家。2002年に『』で第34回新潮新人賞を受賞しデビュー。2004年『遮光』で第26回野間文芸新人賞、2005年『土の中の子供』で第133回芥川龍之介賞、2010年『掏摸(スリ)』で第4回大江健三郎賞を受賞。
平野啓一郎:小説家。1999年『日蝕』により第120回芥川賞を23歳で受賞。2008年三島由紀夫賞選考委員に最年少で就任、2009年『決壊』で芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞、『ドーン』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。

中国の女流作家・盛可以さんは訳あってご登壇キャンセルに。
面白かった学びをいくつかメモ。

◆フリーマンさん
・文学は、人間性を複雑化する
・決して「固まらない」こと。自分のテイストにこだわったら同じものしか作れない
・作家に強制はしない。作家の声を助け、自分の本にしてあげることが仕事
・書くということは主に「失敗」であるから、作家に失敗する時間・ゆとりを与え、いい失敗をさせてあげる
・教師の役目は生徒に「シニカルであることをやめさせる」こと。シニカルになると世界が狭まる
・長編小説の一部を独立させて短編として打ち出すことがある
優れた小説は、カテゴリーを与えようとすると、そのカテゴリーを拒否して、はみだそうとする
・距離感が破綻するとドラマになる

◆中村さん
・プロの作家じゃなくても、書き続けていると思う
考え過ぎると辞めざるを得なくなるから、自分のビジョンを信じて書く
・研ぎ澄まされた小説にとって「絵」は邪魔になる
・登場人物に憑依して、「その場にいて動いている」ように書く
・作家志望の人は、PCで自分の文章を読み返さないように。プリントアウトして寝かせて、客観的にテキストを見直す

◆平野さん
・「書きたい」以上に、「書く必然性がある」ものを書いている
・「書きたい」ではなく、「自分が読みたい」「世に存在していてほしい」ものを書くこともある
・ビッグデータが多くを決めていて、私たちは「自由に選んでいる気になっている」だけ。自由意志はどこまで存在しているのか?
・(例えば『罪と罰』)一人のおかしな青年の中に、その時代の人間性が映し出される
・ニヒリズムでルポ的に社会の闇を書くだけでなく、読者はその先を求めている
・日本の出版社は社内異動が多い。作家は美容院(出版社)ではなく美容師(編集者)で選んでいる面もある
哲学はカテゴリーから入って個人に引き寄せるが、小説は具体的な一個人から始まってどこかで普遍に触れる。赤の他人の物語がどこかで普遍にたどり着くかどうかのカケで書いている
・電子書籍であれもこれもできる(音をつけたり)だったが、どれもうまくいかなかった
実際に経験してしまうと書けなくなるのでは。作家は精神破綻をしない安全な場所から憑依して書くという機能を持っている

編集者・作家、どちらの立場からも話が聞けて面白かった。
特に平野さんは印象的な言葉は多かった。
深く考えているだけじゃなく、その都度しっかり言語化して整理して生きているんだな〜という印象。