2018年 7月 の投稿一覧

沈めた錨を上げる。

7月24日は友人の7回目の命日だった。今年も新潟の彼の実家に手を合わせに伺った。

7年前の葬儀の日の新潟は記録的豪雨で、交通機関の乱れで足止めをくらい、危うく間に合わなくなるところだった。道路のあちこちのマンホールから水が噴き出していた。以前の命日も、雨の影響で帰りのローカル線が遅れ、新幹線に置いていかれて帰れなくなったことがあった。

今年。東京が40度超えの猛暑に見舞われるなか、新潟も暑かった。ここ最近は、過去に例を見ないくらいに長らく雨が降らず、作物も育たないらしい。「今年は降らないですね」なんて悠長に話していたら、東京に戻って駅から自宅に向かう途中、土砂降りの雨をお見舞いされた。ずぶ濡れになりながら、お前ふざけんなと思いながら、「やっぱりな」と笑ってしまった。

 

今年は、「後悔」や「悲しみ」ということについて、ぼんやりと考えていた。

 

後悔。

本人が後悔し続けていることは、他人から見たら「それはどうしようもなかった」とか、「気にすることはないよ」と思うことが多い。もちろん、励ましの気持ちも込めて。だけど、だからこそ、両者の間に乖離が生まれ、本人の後悔は人知れず孤独なものになっていくのかもしれない。より苦しい後悔に変わっていってしまうのかもしれない。

そう思うと、誰かの後悔の念を聞いたときに、僕にできることは、ハンカチを渡し、腕を握り、黙って聞くくらいなもの。絞り出せる言葉は「そうだったのですね」が精一杯。無力。でも、その自覚があるから、何回でも何回でも、同じ後悔の言葉を聞き続けようと思う。こちらの文脈で判断せず、結論付けず、ただただ理解しようとし続ける途上にいようと思う。理解できない歯痒さから逃れないでいようと思う。近づけないまでも、距離を離さず、何度でも黙って聞こうと思う。

 

悲しみ。

悲しんでいる人は、広い海の上に、頼りなさ気にぽつんと浮かぶ小舟のように見える。その人が抱える悲しみは、大事な思い出から離れてしまわないように海底に降ろした、重い「錨」のように思える。今年はそんなイメージが浮かんだ。

ある人にとっては、思い出を見失わずにいたいという願望として。ある人にとっては、思い出を乗り越えてしまう罪悪感から生まれる、否応のないものとして。錨はそうやって降ろされるのだと思う。

安心して上陸できる島が見えたとしても、降ろした錨ゆえに、その場所から動けない。身の危険を感じる嵐に見舞われても、降ろした錨ゆえに、その場所から逃れられない。せっかく手にできる安心を、遠望することしかできない。逃れられるかもしれない危険の中に、留まることしかできない。

そんな錨を、誰も喜ばないだろう。そしてきっと、本人もそのことを知っている。知っていながらも、錨を上げられずにいる。

これは他でもなく、かつての自分のこと。「かつて」と言い切ってしまうのは、少し強がりかもしれないけど。

 

どうすれば、錨を上げて、進むことができるのか。一様に効く対処法なんてないと思う。でも少なくとも、「ここに錨を降ろしておかなければ、戻ってこれなくなってしまうかもしれない」という不安に対してだったら、方法があるかもしれない。

一つは、後悔や悲しみを、誰かと共有すること。

錨を降ろしていた場所を、大切な思い出の場所を、誰かと共有して、一緒に覚えておく。その人がもしもその場所を見失っても、共有した誰かが覚えていてくれれば大丈夫。そういう安心を得る。万が一自分が戻れないときも、他の誰かが代わりに戻ってくれる。そういう拠り所を持つ。

僕はかつて、この悲しみを語ることはタブーのような気がしてしまっていた。だけど、3年前にようやく仲間たちと命日をともにできるようになって、悲しい話も、悔しい話も、ずっこけるほど笑える思い出も話せるようになって、だいぶ救われた。一人で持ち上げられるほど、錨は軽いものではないし、自分は力持ちではないのだと知った。

もう一つは、海底に沈めた錨の代わりとなる標を、海上に浮かべること。

お墓、形見、記念日、メモリアル…人はそういうものをなぜ生み出してきたのか。それはもしかしたら、たとえ離れた場所に行っても目で確認できる形ある標を持つことで、遺された人たちが錨を上げ、別の場所に進めるようにするためなのではないか。

墓石に刻む文章、墓碑銘のことを「エピタフ(epitaph)」と言う。語源を調べてみると、接頭語のepi-は、ギリシア語で「上」「表」「外」を意味するらしい。やっぱり、海底に沈めた錨なのではなく、海上に浮かべた標なんだ、と思った。

 

ただやはり、これが救いになる方法だとは、一概には言えないと思う。目に見える標を持ってしまうことで、逆にそれに執着してしまうこともあるかもしれない。後悔や悲しみから離れることが「思い出を見捨てる」という罪悪だと思えてしまう段階にあっては、悲しみを誰かと共有するだけではどうにもならないかもしれない。その場所に留まることの方が幸せに思える人すら、もしかしたらいるのかもしれない。

だからここに書いたことは、決定的な解だとは思わない。問いに対する応えであって、答えではない。暫定的な回答なのであって、解答ではない。

言葉にするということは、自分と一体化して引き離せなくなってしまったものを、胃袋のあたりに凝縮して、形にして、喉を通して、口から吐いて、表に出して、目の前に置いてみて、客体化させること。眺められるものにして、内に秘めていたときとは違った見方をできるようにすること。ここに書いてみようと思ったのも、そのためなのだと思う。

 

「あいつの分まで」とは、僕には口が裂けても言えない。情熱も、探究心も、行動力も、寛容さも、僕は足元にも及ばない。あいつの分は、あいつにしか生きられなかった。代わりは務まらない。だから、「僕の分」を一生懸命生きさせてもらおうと思う。いきいきと、楽しく、ワクワクしながら。

また来年!

新しい挑戦のために、代表作を捨てる。:『世界のなかで自分の役割を見つけること』

小松美羽さんというアーティストを、この本で初めて知った。

 

世界のなかで自分の役割を見つけること――最高のアートを描くための仕事の流儀
世界のなかで自分の役割を見つけること――最高のアートを描くための仕事の流儀
(小松美羽著 / ダイヤモンド社)

 

まず、冒頭の口絵に載っている小松さんの代表作品が本当にやばい。半端ない。これは半端ないって…
開いた口がふさがらないくせに、言葉をなくす。

ご本人のたたずまいからも、「巫女さんのようだ」と感じていたけど、本文を読んで、やっぱりそうだと実感。見えない世界(小松さんには見えているよう)と現世の間に立って、通路となる作品を描く。そんなイメージ(村上春樹の作品に感じるものと似ている気もする)。

小松さんの生きざまもとても刺激的だった。

新しい挑戦に踏み出すために、「自らも一度死んで、再生する必要がある」との思いから、なんと代表作である『四十九日』の原版を切断(冒頭の口絵で僕が圧倒されていた作品)。後戻りしないこの覚悟、凄まじいと思った。

小松さんの作品の展示があれば、必ず行こうと思う。